密星-mitsuboshi-
東京駅からあの長い乗り換え通路を地下鉄線と一人歩く早紀
夜とは違い通勤客の姿が多くみな歩速が早い
早紀も同じペースで歩くがヒールの震動が下半身に響く
そのかすかな痛みは昨夜のことが現実だと実感させ
寝不足も二日酔いも忘れてしまうほどに鮮明に思い出された

オフィスの出入口を入る時、無意識に渡瀬のデスクに目が行った
渡瀬はパソコンの前で社員が2人と何やら話しこんでいた


ロッカーに荷物をしまっていると後ろからいつもと変わらない明るい声が飛んできた

「おっはよー間野ちゃん! 
 昨日はごめんね」

振り向くと髪の色が少し明るくなった美加が顔の前で両手を合わせていた

「おはよう美加さん。全然大丈夫よ♪ 
 髪の色キレイだね」

「そう?!色いい?よかった♪
 …あれ?」

美加は早紀を頭からつま先までじーっと見ると目を細めた

「え…何?」

「間野ちゃん、スーツの中が昨日と
 一緒じゃない?」

早紀の心臓は跳ね上がった

「あ、うーん。
 ちょっと色々あって…」

いきなりのご指摘にばっちり目が泳ぐ

「…帰ってないの?」

「うん、ちょっと飲んでたら終電
 逃しちゃって」

「あぁそぉ…
 じゃあちょっと化粧室つきあって」

美加は目を細めたまま笑顔を作り、化粧ポーチを持って早紀の腕を引いた

パウダールームに他の女性社員はなく美加と早紀だけだった
鏡の前に立ち、美加は化粧ポーチを開いてコンシーラーを差し出した

「ほらそれっ。
 ちゃんと隠しなさい!」

美加は反対の手で早紀の首元を指差した
早紀は慌てて鏡を見ると、朝バスルームで気づいた鎖骨の上のキスマークが
うっすらと浮かんでいた

「あっ!」

早紀は慌てて手で隠すも、すでに遅く

「つめが甘~いよ間野ちゃん。
 コトの次第はあとでしっかりと
 聞かせてもらうからね♪
 とにかく早くこれ塗ってファンデ
 で隠しなさい」

早紀は苦笑いしながら昨夜の印を肌色に塗った


昼休み

早紀は12時ぎりぎりに入った仕事が長引き、30分ほど遅れて休憩に入ったせいで美加と一緒に食事をとることができなかった
残念な気もしたがホッとしたという方が大きかった

仕事も恋愛も何でも話す親友のような先輩
もちろん隠すつもりなどないが、内容が内容なだけに話すのであればちゃんと話したいと思っていた

そしてまだ少し二日酔いの残る胃に、パスタや定食などのランチは少し重い

とりあえずコンビニに入りサンドウィッチと水、それから栄養ドリンクを買った
30分ずれているためデスクに戻って食べるわけにもいかず
早紀は会社の裏に公園があるのを思い出した
行ってみると公園には誰もおらず
朝は薄雲っていた空も今はすっかり晴れて気持ちがよかった
日向で通りが見えるベンチに座りサンドウィッチを食べ始めた

食べ始めて少したったころ
公園の前の通りを笑い声をあげながら歩く4人のスーツ姿のグループの中に渡瀬の姿を見つけた
渡瀬のすぐ後ろには林田が続いて歩き
林田が身振り手振りで話すと全員がいっぺんに笑いだす

よく見ると4人の中で1人、
女性の姿があった
30歳前後で黒髪のショートボブが揺れ、身長が高くグレーのパンツスーツが
スタイルの良さを目立たせている
一緒に笑いながら渡瀬の隣りを歩ていた

(どこの部の人だろう…キレイな人…
 林田さんも知り合いかな)

4人は声をあげて笑いながら早紀には気づかず会社の方へ向かって通り過ぎた

午後の業務が始まっている中、30分遅れでデスクに戻った早紀は席に座る時に管理部に目をやった
渡瀬と何人かの社員が後ろの方でホワイトボードを使い話し合っている
真剣に書類を見ながら社員の話を聞き、自らも厳しい表情で何かを支持している
早紀はこんな人が本当に昨夜自分の隣りで寝ていたのかと不思議な気持ちになった

だが、一度自席に戻った渡瀬がパソコンに目を通しながそれを影に
ひとつ小さなあくびをしたのが見えた
それは昨日も今朝も眠そうにしていた渡瀬の顔そのものだった
早紀は誰にも分からないよう小さく笑った

だがそれからすぐに早紀にもしつこい睡魔が襲ってきた
何度もやられそうになりながら
お昼に買った栄養ドリンクを飲みなんとか耐えきった

終業のアラームが鳴ったあと美加が早紀のイスの後ろに立って両肩に触れた

「間野ちゃん生きてる?」

「なんとか…。
 終わったら安心して逆に目が覚
 めちゃった」

「それならよかった♪
 林田が30~40分遅れそうだから
 先に始めててって」

そう言われて林田の席の方を見ると電話でお客さ様と話し込んでいる

「ありゃ~ホントだ。
 そうだね、先に行こう」

早紀はデスクを片づけ、美加とロッカーへ向かった
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