リナリア
* * * 

「…間に…合った…。」
「名桜ー遅いぞー!メシ食う時間あるか?」

 白いワイシャツにストレッチ素材の黒のチノパンという格好で待ち受けていたのは名桜の父だった。

「ご飯いらない…。」
「大事な娘にメシを食わせない親はいない。こんなことだろうとサンドイッチを買っておいた。」
「ありがとう!」
「アイスカフェラテは冷蔵庫の中。」
「生き延びた…。」

 冷蔵庫からアイスカフェラテを出し、ぐいっと飲む。そしてデスクに置かれたサンドイッチに手を伸ばす。5分もあれば飲み込める。味も美味しいけれど、今は重要じゃない。サンドイッチを流し込んだら、制服を脱いで着替える。

「今日、外で撮影じゃなかった?」
「そう。雑誌のデート企画。そっちの方は安田くんたちが行ってくれてる。スタジオ撮影が13時から。」
「そっか。私は何を手伝うの?ライト?レフ板?」
「いや、名桜に撮影してもらおうかと。後半は。」
「え?あ、待って。誰だっけ、今日の人。」
「伊月知春(いづきちはる)。」
「…名前は知ってる。顔がすぐ出てこない。」

 名桜の眉間に皺が寄った。確かに名前に聞き覚えはある。しかし、カメラは好きでも被写体に高い関心意欲をもてるほどではなかった。

「最近出てる人だよね?」
「顔見りゃわかるって。今かなりきてる子じゃないか?年不相応な色気もあるし、演技力も抜群。」
「演技力抜群だと私じゃだめかも…。」
「なんで?」
「被写体に演技させるのが好きじゃないから。だからといって、それをひっぺがせるほど、私はトークが上手くない。」
「まー確かに、名桜の写真の被写体はいい顔してるよなぁ。あれは演技じゃない。」

 スタジオの片隅に、父が大切そうに飾ってくれている組写真のパネル。シャボン玉で遊ぶ、中学生だったころの七海と蒼。学生対象のアートコンペの写真部門で最優秀を獲ったのは、中学2年生の頃だった。賞金はカメラに使い、個展を開催させてもらった。個展用に写真を撮りまくっていたあの時間を、昨日のことのように思い出せる。
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