猫とアトリエとペパーミント
パーティーと油絵の具と金平糖
 春休みが始まり3日目。快晴で2月ながらも暖かい。私、斎藤さくら子はその日も自分のアパートのアトリエでもくもくとカンバスに向かっていた。
 日当たりの悪い空間は、一足早い春の陽気など感じさせない程ひんやりとしていた。その肌寒さが、私の集中力をより高めていたのだが、二時間ほど通してカンバスに向かっていた為か、ぐうと情けない音が体から鳴った。これで自分のお腹が空いていたことを初めて自覚した。
 筆を洗浄液の入った空き缶に突っ込み、パレットは横に置いてあるテーブルに置く。代わりに置いてあったスマートフォンを手に取り時間を確認する。15時20分。特にメールはない。
 スマートフォンを膝の上に置いてから自身の首をゆっくり回す。次は肩、そして腕、手首。何処もかしこもパキポキと小気味いい音がする。
 と、マナーモードにしていたスマートフォンが動き出した。低いバイブ音を上げて、メールの到来を必死に伝えている。確認するとお父さんからで、その文字を見た瞬間に私はあることを思い出した。

「あー、ドレス買い忘れてた」

 それは数日前、お父さんから突然パーティーに一緒に出席してほしいと言われていた。
 お父さんは大きな会社の支社長をしている。といっても肩苦しいものではなく、その地区で新規事業開拓のために派遣された社員5人をまとめるリーダーという存在のようだ。
 その事業を売り込むために、このような企業の社長や重役がいるパーティーに出掛けて交流を深めるのだそうだ。たが、このようなパーティーに何故私を呼ぶのかは分からなかった。
 とにかくそのパーティーに出るため、お母さまんからパーティードレスを買うように、電話で指示されていたのを今更ながら思い出した。しかしもう遅い。そのパーティーは今日なのだから。いや、遅いということはないのかもしれない。今すぐ駅に走って電車に乗って、大きな町で買えばいい。しかし、少し考えた末にスマートフォンを置いてから再び筆とパレットを手に取った。
 薄皮を張った白の絵の具をパレットナイフで割ってやる。すぐに中から液体状の絵の具が現れた。
 白の絵の具は残りわずかだったから、絵の具が使えそうになかったら大きな町に買いに行こうとしていた。ついでにパーティードレスを買おうと思っていたが、絵の具が使えるのであれば行く必要はないよね。絵の具を延ばす油を白絵の具に混ぜていく。好みの固さになったらカンバスの乾いている部分から塗り込んでいく。
 去年の11月からちまちまと描きこんでいた小さなカンバスには、季節外れな桜が大きく鎮座している。たっぷりの太陽光を浴びた姿はのびのびと、そして爽やかさがある。
 太陽光は白。光の中にたくさんの色があるのに、それらは全て混ざって白になる。絵の具のように茶色や、灰色にはならない。だから照り返す光の色は白なのだと、美術の道を示してくれた教師は言っていた。最後の仕上げ、ハイライトをカンバスに差すときはいつもその話を思い出す。
 光を満足するまで描き加えた。さくら子はパレットと筆をサイドテーブルに置いた。
 立ち上がって少し離れてカンバスを見た。鮮やかな桃色と重みのある幹の色、晴れやかなスカイブルー。それらが混ざり感じたのは、舌から広がるシンプルでいて優しい甘味だった。
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