その男、猛獣につき

「せ、先生…。痛い…です…」

 

頭の中はまさに混乱真っ只中で、先生に追い付くのが精いっぱいで、自分の置かれている状況すら考えられなくなってくる。

 

先生にどうにか止まって欲しくて、ふいに口をついて出たのは、小さな嘘だった。

どこも痛くなんてなかった。

痛いとすれば、胸の奥、ただその一点だった。

 

「す、すまん。大丈夫か?どこが痛い?足か?」

 

眉間にしわを寄せながら、ボディチェックを始める。

そのせいで、逆に私の方が申し訳なくなってしまう。

 

「ご、ごめんなさい。先生に止まってほしくて、つい…」

「なんだ、じゃあ、どこも痛くないのか?それなら良かったぁ」

 

心からほっとしたような声に、思わず先生の顔を見つめてしまう。

 

目を細めて、大きな右手で顔を隠していたけれど、形のよい唇は口角が上がっている。

 

胸の奥が、キュンと高鳴る。

 

 

< 224 / 328 >

この作品をシェア

pagetop