僕が君の愛

 ふと。加織はある考えに至る。
 だからなのかもしれないと。
 加織自身は前に進めるつもりなどなかった淡い肇に対する思い。それが、相手側の――肇の一方的なスタートの掛け声で、背中を押される形になってしまった。今まで加織が経験していない形だ。だから、自分は上手く処理できないのだ。
 やけに。加織が至ったその考えは、まるでパズルのピースの様に加織の心にストンと、抵抗なくハマった。
 加織はゆっくりと瞼を閉じる。再び眸を開いた時。霞が晴れ、狭くなっていた視界が、元の広さを取り戻しているような気がしていた。加織の心を、深い底へと沈めている錘が軽くなったわけでは、決してないのだけれども。

 今日、このシガーバーを訪れたのは、加織にとって肇を忘れるための良い機会になるのではないか。肇とて、今までの加織との付き合いの中で、加織が多くの異性と交際してきたことは耳に届いていることだろう。だが、ただ耳にしているのと、実際を目にするのとでは違うはずである。犬養と共にいる加織の姿を目にすれば、肇の加織に対する認識も改められることになるのではないか。曖昧になっていた客とオーナーの境界線も、再びはっきりとするであろう。
 そして、加織は戻るのだ。前の自分に。
 紫煙を眺め、昔の男を思い出しながらも、自身の幸せを掴むため努力する自分に。

 テーブルに広げられた料理が、あらかた姿を消した頃を見計らい、加織は席を立った。化粧室に入り、鏡に映る自身を見つめる。
 眸の力を取り戻すためにマスカラを何度も乗せ、唇には再び色を纏う。口角を上げ、笑顔を作る。そこには、化粧と言う完璧な鎧を纏った加織が映っていた。
 加織は鏡に映る自身から視線を逸らすことなく、ひとつ頷く。
 これが、本来の。1ヶ月前までの自分の姿だと。

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