空って、こんなに青かったんだ。
第七章
拓海が勇士から与えられた課題、すなわち新しい球種の習得は結局スライダーになった。

ストレートをより速く見せるための「抜く球」というコンセプトだったのだがいろいろと
試したあげく、フォークもチェンジアップも結局のところ思うようなボールが投げられなかったのだ。

であるならば、もともと落差のある「ドロップ」ともいえるような拓海のカーブを生かして、それを「抜く球」として使おう、と勇士が言い出したのだ。

そして勇士のアドバイスのもと、握り方をいくつか変えてスライダーを投げわけてみると
縦に落ちるボールと横に滑るボールが自然と投げられたのだ。

ならこのボールを生かそう、となってずっと勇士とブルペンに入って練習を続けて来たのだが、年明けにはこれがほぼ完成に近くなってきっと試合にでも使えるはず、というところまできたのだった。

横に滑るボールはカットボールとして、縦に落ちるボールはフォークの代用品として使おう、と拓海と勇士は決めるに至ったのだっだ。

これで拓海の球種はストレート、カーブ、そして二種類のスライダーで計、四種類となるわけで今の時代、各チームとも主軸は左打者が多い。なので左打者の泣き所ともいうべき、ひざ元をえぐることの出来るカットボールの習得は野球部全体にとっても大きな収穫となるはずだった。

そして拓海にはもうひとつ、思わぬものが手に入ってきた。健大やあきなたち男女六人で出かけたイブの翌日、思いもせぬ父親から荷物が届いたのだった。

それは当然のことクリスマスプレゼントのつもりであったようで、あけてみると中には新品のグローブが入っていた。外野手用の、そして手のひらが当たる部分に「不動心」と刺繍の入った拓海だけのグローブが。

どうやら祖父母のうちどちらかが自分の息子に伝えたようだ、

『拓海がまた野球をはじめたことを』

拓海は翌日から早速そのグローブをもってグラウンドに行き練習をするようになった。

実際に新しいグローブでノックを受けてみると自分の手にぴったりとフィットしてスローイングに入る際の「球離れ」も良かった。なのでその日、家に帰ると拓海は
「ありがとう」
と父親に短いメールを送ったのだった。

しかしそれ以上の文面は何とも思い浮かばず、何を書いたら、伝えたらよいものか皆目見当もつかず、結局それだけになったしまった。

「また野球をはじめたことを知ったら、どう思うんだろうな?」

そんなことを拓海は考えてはみたのだけれど、父親の胸の内は想像しがたかったし、
いちどやめたんだからもう期待はしないだろうな、なんて思ったりもした。

そう思うと親子ふたりで野球漬けの生活をしていた頃が妙になつかしく思われて、
拓海のこころの中は少しだけさびしくなってしまう。

悪いところを指摘され、良いところをほめられ、与えられた課題をクリアーしたときはふたりで喜んだ。そんな、文字通りの「親子鷹」だったのだ。

なんで自分は「あの毎日」から逃げ出してしまいたくなったんだろう?

ベッドに寝転んだまま天井を見上げて、拓海はぼんやりとあの頃を思い返していた。
するとなんだか自分がとんでもない裏切り行為を父親にしてしまったような気がして、得体のしれない後悔の念が湧いて出てきた。

そして涙がこぼれそうになり、必死で止めようとしたんだけれどそれはどうにもならずに拓海の頬を伝い落ちていったのであった。

 
                ※


 暮れは晦日まで練習があって、年明けは三日から全体練習が始まった。
選手たちがそれぞれ家に帰ってから英誠が強くなっていることを宣伝?しているせいかここ
最近、父母の練習見学がやたらと増えてきていた。

特に土日はグラウンドにかなりの父兄が集まって子供たちの練習を見守るようになっていた。
すると当たり前に親同士もだんだんと仲が良くなってきて、あげくその相乗効果みたいなもんで練習自体もさらに活気が出てきた。

そして親同士の立ち話と言えば
「甲子園も夢じゃないみたいですね!」
と、これに尽きるわけだ。

実際、今まで全然グラウンドには来なかったのだけれど数人の父親は高校、中には大学まで
野球をやっていたものもいて異口同音に
「こんなに良いチームだとは知らなかった」
と英誠の新チームを評価していた。

それプラス、小島新監督への評価はさらに高くてその的確な指導と落ち着いた物腰、野球理論は父母の間で鯉の滝登りのようにグングンと上がって行った。

そんな中で、明日から新学期という冬休みの最終日にレギュラー候補陣?対星也、拓海の
シート打撃対決が行われることになったのだ。

さすがにこれにはグラウンドの観客席が満席になって人があふれてしまい親たちには大変な盛況だった。

レギュラー候補陣?の四番には拓海の代わりに健大が入ってセンターには啓太が、星也が打つ九番には一年生が入って試合さながらの真剣勝負が行われた。

まず星也が先発して、スリーアウトを取ると拓海に交代、拓海がスリーアウトを取るとまた
星也がマウンドに上がる、というやり方で行われたシート打撃は結局、それぞれがスリーイニングを投げて星也は被安打二の無失点、拓海はノーヒット無失点に抑えたのだった。

とくに効果的だったのが二人の投手の新球、星也のスクリューボールと拓海のスライダーだった。拓海がスライダーを自分のものにした間に星也もスクリューを習得していたのだ。

まだコントロールに若干の難はあったのだけれど、落ち方、曲がり方にはほぼ本人も満足のいく出来だった。そして皆が考えていた通り、とくに左打者に有効で護と勇士はその日はともにノーヒットで終わってしまったのだった。

新監督も護と勇士の打撃技術には大きな評価を与えていたのでその日も護が三番、勇士には
五番を打たせていたくらいなので投手の二人には合格点が与えられた。

そのかわり打撃陣にはスピードに負ける弱点が露見したため、これからは極端に速い球と遅い球のマシン練習を取り入れるぞ、と新監督からお達しがあったわけ。

マシンの設定は150キロと110キロ。これを二台並べて交互に打つ練習を新監督命令で三学期から行うことになったのだ。

ミーティングで新監督は何かを行うことによってそこから新たな課題を見つける重要性を選手たちに説いて教えた。そしてその課題をクリアーする手法を見出すこと、手法を見出したらそれが習得出来るまで努力を継続することの大切さを子供たちに伝えたのだ。

紅白で分れる練習試合も今日のシート打撃も日々の練習も、すべてがその繰り返しだと新監督は言った。そして何より強い意志を持つこと、それが最も大切だとミーティングの最後に語ったのだった。

父母たちもネットの外に直立不動で並んで一緒に聞いていたそのミーティングは、英誠野球部の結束を一気に高めることとなって、その日の練習は名実ともに甲子園への第一歩を踏み出すことになったのであった。 

                 
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