明日へ馳せる思い出のカケラ
第7話 メインスタンドの輝き
 向かい風が吹きつけるバックストレートを走る度に、尋常でないほど体力が削ぎ落されていく。
 逆に追い風であるメインストレートでは、体力的には楽なはずなのに、浮き上がるほどに軽く感じる足に違和感を覚え、思うように力が入らずスピードを上げられない。

 クソっ垂れが。今になって自分のアホさが嫌になる。
 大切なレースなのに、怒りに感情を流されて自分を正しくコントロール出来なかった。これじゃ自分の力量を把握せずに、先頭集団の早いペースに釣られてしまう、いつもの自滅パターンと何も変わらないじゃないか。

 息苦しさに足掻きながら走る俺は、そう自責に駆られ悔しさを噛みしめた。
 ただそれでもあの怒りを否定してしまう事なんて出来はしない。だって今の俺がここまで頑張り続けていられる要因は、あの気持ちの高ぶりがあったからこそなんだから。

 いつもの俺ならとっくに心が折れているはずだろう。
 でも胸の奥底で今も微かに熱く燃えている力の源は、あの怒りの心情から来るものだったんだ。

 肉体的には限界が近い様にも感じられる。でも走る事を止められない理由は理屈どうこうじゃないんだよ。
 もっとこう感覚的というか、昔の言葉で言えば不屈の闘志とか粘りの根性とか、そんな気持ちの強さだけで俺は走り続けていたんだ。

 ただその感情の高まりにおける弊害として、その時の俺は自分が何周目を走っているんだか全然分からなくなっていた。
 1万メートル走はトラックを25周もする競技だから、時間が掛かる上に視覚的にも変わり映えが無い。
 それゆえ一度狂ってしまった試合運びを修正するのは非常に困難な作業であり、また走るほどに蓄積されてゆく疲労感で俺の思考回路は停止寸前の状況に達していたんだ。

 走行タイムから逆算すれば大凡の見当はつくはず。だけど今は腕にはめた時計を確認するのすら困難なほどに疲弊しきっている。
 走る以外に体力を使いたくなかったのかも知れない。いや、それ以前に疲労のせいで頭がうまく働かなかったんだろう。
 走らなければという使命に駆られた責任感だけを頼りに、半分意識が無い中で足をひたすら前へと進める。もうゴールまでがどれくらいかなんて、考えるのも面倒だったんだ。

 ただそれから間もなくして、俺は一人の選手に追い抜かれる。無自覚の状態で走っていた俺だったけど、でも何気に見つめたその選手の後ろ姿に見覚えを感じハッとしたんだ。
 強豪校のユニホームをまとって走る精悍な後姿。
 そうだ、彼はスタート前に前衛に詰め寄った選手達を見て俺と一緒に呆れていた、あの彼じゃないかってね。

 俺と共に集団の最後尾にいた彼が、あのスタート直後の事故に巻き込まれなかったのは至って当然の事。
 でもまさか俺よりも後方にいるとは思わなかった。だって俺がスタートを躊躇している間に、彼はさっさと走り始めたものとばかり思っていたからね。

 もしかして周回遅れにされたのか?
 いや、それは無い。だって俺が把握している限り、先頭を走っているのはあの留学生のアフリカ人選手のはずなんだ。それにその漆黒の彼を含めた先頭集団は、ずっと先を走っているはず。
 でも俺はまだ、そんな先頭集団に一度も抜かれてはいない。

「ん、待てよ!?」

 俺は衝撃的な事実に気付き一驚する。
 そうなんだ。致命的に乱れたペースで走り進んで来たにも関わらず、俺はここまでに【一人の選手】にしか抜かされていない。
 それを逆に捉えれば、箱根を走るほどの精鋭達とレースをしているのに、俺はまだ周回遅れにすらなっていなかったんだ。
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