図書恋ーー返却期限なしの恋ーー
はじめてのキス
 大学一年生の頃、共学との混合サークルの新歓に行ったことがある。当時はまだ自分がどの程度お酒が飲めるのかわかってなくて、そのせいで会が終わるころにはだいぶ酔っぱらっていた。
 大丈夫? ひとりで帰れる? とやけに甲斐甲斐しく話しかけてきた隣の先輩は手が早いと校内では有名な男だった。そうとは知らないわたしは、ろれつの回らない目で先輩を見上げ、今や記憶にない何がしかのやり取りがあった後。

 亜沙子ちゃん、かわいーね。

 その言葉と共に唇にチュッとキスをされた。酒精もいっきに霧散する衝撃だった。

 手をのばして一番近くにあったモノ――空きジョッキか、グラスか、瓶か。これも覚えてない――を思いきり振り上げて、先輩の頬に叩きつけてやった十八の夜。

「唇が他者の唇と接触する」ことがキスというのなら、あれがわたしのファーストキスになる。でもそれじゃあんまりだろうと、落ち込んだ二日目の朝に出した結論だ。ノーカンノーカン。あんなもの、唇にハエでも止まったと思えばいい。
 ということで、わたしの体は上から下まで清らかなままだ。そう自負していた。
 昨日までは。

「あ~学校行きたくない」
 子どものようなことを半ば本気で呟きながら、ワンルームの部屋でのそのそと着替える。隅に置いてある全身鏡には、目の下に黒ずんだ隈を作ったわたしの姿が映っている。肌もワントーン暗い気がする。

 全部全部、小林のせいだ。

 件の先輩とは、あの新歓で会ったのが最初で最後だ。もともと他大の人だし、避けるほどのこともなかった。月日と共に存在さえ忘れていった。
 けれども、小林はそうはいかない。職場が同じなのだ。どんなに嫌がっていてもあと数時間後には相対してしまう。そう思うと肩の上に重石でも乗せられたような気がする。

「ほんと、なんのつもりよ……」
 鏡を見たまま、唇をごしごしと拭う。軽いキ、接触だった。濃厚な、あの文庫に出てきそうなものじゃない。欧米だったら挨拶で済ますレベルだ。
 とはいえ、気にする方がおかしい、とはならないんじゃないの。
 
 亜沙子にすっげー興味湧いた
 これから――いろいろとよろしくな 

 反射的にベッドに置いてあるクッションを投げつけた。鏡に跳ね返って、真っ赤な顔で眉を寄せてるわたしと目が合う。

「ヘンタイ教師」
 興味って。いろいろとってなに。どういうつもりよ。
 
 力なくその場に座りこむ。

「あぁ、行きたくないよぉ」

 今なら不登校児の気もちがわかる、と痛烈に思った。
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