309.5号室の海

蒼井さんのバーは、なんとなく落ち着く。
優しい色合いの装飾のせいもあるだろうけれど、ほっと一息つけるような雰囲気があるのだ。

ふと店内を見渡すと、男性より女性のお客さんのほうが多いような気がした。少し意外だと思っていると、その女性たちの様子を見て納得した。


「お兄さん、おすすめのカクテルって何ですか?」

蒼井さんはそう聞かれて、眉ひとつ動かさずに淡々と説明をしている。


「千秋くん、また会いに来ちゃったよー!」

千秋くんはそう言われて、持ち前の人懐っこさとアイドルスマイルで、ありがとー!と返している。

なるほど、みんなこの2人目当てということだ。
そんな2人と一緒に、まして家にお邪魔してご飯をごちそうになった私は相当ラッキーだと思う。
隣に住んでいなかったら赤の他人だったのだから、偶然って不思議だ。


悶々と考え込みながらグラスを傾けていると、目の前にふっと影がさした。
顔を上げると、従業員の女の子が私のほうをじっと見ていた。
初めてこのお店に入ったときに最初に声をかけてくれた、あの女の子だ。


「おねえさん、いつもそれ飲んでますね」

「あ、お久しぶりです」

「やめてください、おねえさんのほうが年上でしょ?あ、あたしのことはカナって呼んでくださいね!」


カナちゃんは、とても可愛らしい女の子だ。
千秋くんと並んでカウンターに立っていると、本当に絵になる。2人でユニットでも組んで芸能人デビューしてほしいくらいだ。
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