リリー・ソング
「でも、僕は榎木さんから外出禁止令が出てるよ。」
「マスコミなんかほとんどいないもの。駐車場から車で出たらわからない。念のため、私は顔を伏せて隠すから。」
「でもなあ…」
なんとかして断ろうと、深夜は冗談めかして言った。
「本当に運転できるかわからないから…寝不足だし、事故起こして死んじゃうかもよ。」
「死んだっていいの。」
私も笑って軽く言った。
深夜が目を見開いて沈黙した。
死にたいの、深夜?
私は心の中で言う。
それなら私も一緒よ。
「…わかった。」
だけど深夜は私を殺すことなんてできない。
観念したようにため息をついて言った。
「リリーは言い出したら聞かないからな。安全運転で行こう。」
私は微笑んだ。
「ありがとう。」
夜の海に行きたい、なんて、訝しがるのは当たり前で。
深夜はこの日々の終わりを予感して怖れている。だけど、私だって怖い。
私たちは帽子を深く被って家を出た。
道中、ほとんど二人とも無言だった。
「…私ね。施設を出てから深夜が連れて行ってくれるまで、海って生で見たことなかったの。」
私は窓の外を眺めながら、高速道路を走る心地よい振動に身体を預けて言った。
海は、本や、映像でしか見たことがなかった。
だから自分が海の底にいたことにも気づかなかったのかもしれない。
「…そうか。」
車の中で交わした会話はそれくらいだった。
緊張していた。私も、深夜も。