古い校舎が見える桜の木の下で
1.10年ぶりの再会
俺はちょうど、長野にある祖母が住む町に来ていた。
祖母は3年前から病気がちだ。
おばあちゃん子だった俺は時々、祖母を訪ね、見舞う。
祖母のいるこの町は、生まれてから
中学3年まで過ごしたところでもある。
昔、このあたりは賑やかだった。
かつて、この町には大手自動車メーカーの工場があった。
俺の父親はそこで働いていた。
ところが、不景気の波に飲み込まれ、
俺が中学2年のときに1年後の工場閉鎖の話が出た。
俺の家族もそうだったが、
その工場で働いていた人たちは、転職をするか、
系列の別工場への転勤をするかの選択を迫られていた。
俺の父は、東京の工場への転勤となり、
俺たち一家は俺が中学を卒業するとすぐに引越した。
たぶん、あの工場が閉鎖になったときが
人口流出のピークだったと思うが、
その後も人口が減り、
俺が通っていた中学校も今年、近隣の学校と合併した。
廃校となった校舎は古いこともあって、
取り壊しが決まっていた。
壊される前に思い出の場所をもう一度見ておきたいと思い、
東京へ帰る前に母校に立ち寄ったのだった。
祖母は3年前から病気がちだ。
おばあちゃん子だった俺は時々、祖母を訪ね、見舞う。
祖母のいるこの町は、生まれてから
中学3年まで過ごしたところでもある。
昔、このあたりは賑やかだった。
かつて、この町には大手自動車メーカーの工場があった。
俺の父親はそこで働いていた。
ところが、不景気の波に飲み込まれ、
俺が中学2年のときに1年後の工場閉鎖の話が出た。
俺の家族もそうだったが、
その工場で働いていた人たちは、転職をするか、
系列の別工場への転勤をするかの選択を迫られていた。
俺の父は、東京の工場への転勤となり、
俺たち一家は俺が中学を卒業するとすぐに引越した。
たぶん、あの工場が閉鎖になったときが
人口流出のピークだったと思うが、
その後も人口が減り、
俺が通っていた中学校も今年、近隣の学校と合併した。
廃校となった校舎は古いこともあって、
取り壊しが決まっていた。
壊される前に思い出の場所をもう一度見ておきたいと思い、
東京へ帰る前に母校に立ち寄ったのだった。