偽りの姫は安らかな眠りを所望する
* 夜の帳に抱かれて
燭に照らされた廊下で、ティアはフィリスの部屋の前に立ち、ひとつ深呼吸する。訪いを告げるために扉を叩く手が、久しぶりの感覚に緊張して少し震えてしまった。

それほど大きな音が出たとも思えないのだが、すぐに内側から反応がある。この館の年月を感じさせる扉は、部屋の主自らによってゆっくりと大きく開かれた。

「待ちくたびれた」

不機嫌に眉を寄せる彼は、以前のようにすっぽりと布を被った姿ではない。すとんと締め付けのない寝衣を身に着け、もういつでも眠れる態勢だ。
もちろん直線的な身体の線はどこをどう見ても男性のもので、いまさらながらにティアは意識し始める。

「し、失礼します。香茶をお持ちしました」

俯き加減で入室すると、さっそくお茶の準備を始めたティアは、室内がいつもと違うような気がして見回した。
それは、窓辺で揺れるカーテンですぐにわかる。今まで固く閉ざされていた窓が開けられており、心地好い夜風を受け入れているのだ。

窓から視線を動かしてフィリスを見ると、彼は決まり悪そうに顔を背け、さっさと寝台へと上ってしまった。

立てた片足の膝の上に両手を載せ、そこに頬を預けたままティアが香茶を淹れる手元に注目している。
たいしておもしろみのない作業を食い入るように見つめられてしまえば、やり慣れた動作がどうにもぎこちないものになる。

ただでさえ、陽の光の下で見るよりも艶やかさを増した、薄明かりの中に浮きあがる物憂げな美貌は、ティアの鼓動を速めるに十分で。

「……あの、なにか?」

沈黙が耐えきれなくてそれを破る。するとフィリスはゆるりと唇の両端を持ち上げた。

「ん? 毒を盛られないかと思って」

「どっ、毒なんて、入れるわけないじゃないですか!?」

持っていたポットを取り落としそうになって焦る。その様子をおかしそうに笑う彼を見て、質の悪い冗談だと気づいたティアは、ムッと口を尖らせた。

「そんなことを仰るなら、うんと苦いお茶にしますよ?」

ワゴンに乗せられた壺の蓋に手をかける。
中に入っている香草は不眠によく効くが、目や口が顔の中心に寄ってしまうほど匂いが強くて苦いのだ。調合の加減を間違うと、なかなかに危険な代物である。
ほんの少し開いた蓋の隙間から漏れる匂いに、フィリスが寝台の上で後退った。

「いや、違う。悪かった。もちろん信用しているから」

今度はフィリスの焦る様に、ティアがふふっと笑いをかみ殺す。
壺をポットに持ち直して淹れたお茶は、すっきりとした瑞々しい甘さを薫らせるもの。
「どうぞ」と笑顔で差し出せば、フィリスは安心したように息を吐いた。

彼が少しずつゆっくり味と香りを楽しんでいる間に、ティアは燭台の灯りを芳香器の蝋燭に移す。上皿には、湖から帰ってきてからずっと悩みに悩んで決めた二種類の精油を垂らした。
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