偽りの姫は安らかな眠りを所望する
種明しをするように蓋を取ると、ほんのりとした甘さの含む清涼感のある芳香が辺りを包む。フィリスにも覚えのある香りが、鼻腔をくすぐった。

「ラベンダーです。セオドールさんに渡そうと思って持っていたものなんです」

余分に作ってあるので、減った分はあとで足せばいい。ティアはごっそりと軟膏を指で掬った。

「昼間お話ししたように火傷にも効きますが、こうしてたっぷり塗って香油の代わりにも使えるんですよ」

ティアは寝台の傍らで膝立ちになりフィリスの片手を取ろうとして、一瞬躊躇ってしまう。それに目敏く気づいた彼が反対に、ティアの手首を捉えた。

「叔父上の手はベタベタと触りまくっていたくせに、私のは嫌なのか?」

「そんなことは……」

ティアが声と瞳を揺らすと、フィリスはパッと手を離して顔を逸らす。横を向いた唇が「すまない」と音を出さずに動いて引き結ばれた。

彼に謝らせてしまったのはこれが何度目か。申し訳ない想いがティアの心に広がる。
だが、以前と変わらないフィリスの手なのに、急に違うもののように感じてしまったのも事実で。

薔薇の小道で繋いだ手の感覚が急に蘇って、まだ手首に残るフィリスの熱がどんどん身体全体に伝わっていく。

変に意識してしまうのは、灯りを落として薄暗い室内だから。そう自分を納得させて、ティアは気持ちを切り替える。

「手を、お借りします」

おもむろにフィリスの強張る左手を持ち上げた。

白い手に惜しげもなく軟膏を乗せ塗り広げていく。香油ほど滑りはよくないが肌には良く馴染む。鎮静効果のあるラベンダーの香りが、お互いの凝りも緊張も解していった。

「そういえば、ダグラスさんが厨房に棚を設えてくれたんです」

動かし続ける手に視線を固定したまま、ティアが嬉しそうに報告をする。



予定以上に時間をかけてしまった香草摘みから戻ると、またしても皆は責めるどころか、歓声を上げて迎えてくれた。

「おかえりなさい、ティア。見て見て! よくできているでしょう?」

コニーは、まだ背負籠も下ろさず目を丸くするティアを厨房の壁に造られた棚まで引っ張っていく。頑丈そうなしっかりした板が使われており、重たいものをたくさん乗せても大丈夫そうだ。

「ここに好きなだけ、壺や瓶を並べていいんだよ」

デラがバンバンと叩いてみせると、バリーが大袈裟に止める。もちろんその程度では、微動だにしないのだが。

「おいおい。おまえさんの馬鹿力じゃ、さすがに壊れちまうよ」

夕飯の支度で忙しいはずの厨房に、賑やかな笑い声が沸いていた。


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