よるのむこうに

天馬は狭い玄関で大きな荷物を肩から提げている。いつもの運動靴を手にとって大きな足を突っ込む。
オーディションなのだからきれいな靴を履いていけばいいものを、彼にそんな気負いはない。

「お前の親、いつ頃こっちにつくんだ?本当に俺が迎えに行かなくていいのか」


オーディションのことよりも、彼にとっては初めて東京を訪れる私の母が気になるようだ。彼がニューヨークにいる間、実家の母が泊まりに来るという私の嘘を微塵も疑っていない。


「大丈夫だよ、子どもじゃあるまいし」
「帰ったら俺からも挨拶する」

私は眉根を寄せた。まさか彼にそんなつもりがあるとは思ってもみなかった。

「ええ、何なの、いきなり」

「うるせえな、したいんだからしたっていいだろ。挨拶くらいさせろ。
ニューヨーク土産、何がいい?」

「いらないよ……そんなことより彰久君の言うことちゃんときいて、単独行動は駄目だよ」
「なんだよそれ。修学旅行の中学生かよ」


あんたの英語能力は中学生以下なんだからそのくらい気をつけて当然だ。
そう思いながら私は天馬の荷物にわかりやすい地図のついたガイドブックを突っ込んだ。重いからガイドブックなんかいらないと天馬は言ったが、しかし絶対に必要だと思う。特に地図は必要だ。
天馬の英語ではそのあたりの人に道を聞いて無事に目的地に着けるかどうか非常に怪しい。
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