夫の教えるA~Z
「う~、今日はあ、本当にぃ~…ありあとっした(ありがとうございまいsた)!」
「ちょっと…ホントに大丈夫?アンタ呂律回ってないじゃないの。タクシー呼んであげよっか?」
「う~、勘弁してください。給料日前で金欠なんですよう~…
らいじょうぶ…ちゃんとひとりで…ひくっ電車《れんしゃ》のれまふから…うっ」

9時頃、私達は店を出た。
トイレから戻り、緊張がほぐれたらしい松田君は、後半からはけっこうしゃべれるようになり、私達は何となく楽しく飲みの時間を終えられたわけだが…
代わりに、急にピッチを上げ過ぎたせいで(それでも夏子さんの杯数の半分にも満たないんだが)すっかり酔っぱらってしまっていた。

「ちょっと、無理しないの。
タクシー代くらい貸しといてあげるわよ。ちょっと待ってて、私やっぱタクシー頼んでくるわ。トーコちゃん、ちょっと見といてあげてね」
「了解です!」
一度出たお店に再び入っていく夏子さんの背中をピシっと敬礼で送ると、私はフラフラしている松田君を見た。

真っ赤な顔の松田君は、私の顔を見返すと、へにゃっと笑った。

「奥さん、今日はホントありがとうございまひた、ボクの無茶なお願い…叶えてくださって…ひくっ」
「あ、ううん。ごめんね私、あんまり役に立てなくって。
あ、あのさ私、昔っからよく友達の手紙とかバレンタインチョコ渡しに行くとか、カレカノの誕生日に欲しがってるもの聞きに行く役とかよくやらされるんだけどね。これが意外と成功率高くって。
いや、言ってしまうとね、私はそのミッションを大抵失敗するのに、気が付けばその二人はいつの間にか上手くいってたりとか、その」

事前に夏子さんの感想を聞いしまってから、私には彼に対してどことなく申し訳ない気持ちがあった。
私の長い言い訳に、彼はゆっくり首を振った。

「いいえ、今日の事は、ホントに感謝してます。
…あの、僕頑張ります。これぐらいで諦めませんから」

え。それってまさか___

「松田君、もしかして…あのときの話__」

私が言い終える前に、彼はふっと寂しそうな顔で俯き、それからまたニコッと笑った。

「僕、これから精一杯努力しますから。少しでもあのひとに追いつけるように…」
「う…ん、そか、分かった」


「ゴメ~ン二人とも、ついでにトイレいってた。
タクシー、あと五分で来るってさ」

その後夏子さんが戻ってきて、この話はここで終わりになったのだが…
松田君のその言葉に、不覚にも私は、きゅんとしてしまった。
< 306 / 337 >

この作品をシェア

pagetop