遠くの光にふれるまで





「若と丙副隊長、仲直りできるといいな」

 帰り道、呟くように千鳥が言った。

「……ああ」

「なんだその気のない返事は。忘れず丙副隊長に届けること。雲雀は少し忘れっぽいからな」

「……ああ」


 正直な話、これを素直に渡していいものか、迷っていた。

 若菜のために、丙さんを現世に連れて来てやりたいとは思う。
 でも、丙さんが自分の意志で来るべきなのに、こんなに簡単に協力してしまってもいいのか?

 第一、喧嘩をして一ヶ月、現世に来る機会はいくらでもあったのに、丙さんは重い腰を上げないじゃないか。

 本当に若菜を大事に思っているなら、きっかけがなくても来るべきだ。
 どんな顔をして会っていいか分からないから来ない、なんて。仮にも恋人である若菜に対して不誠実だ。

「祭も海も、楽しみだな」

「……ああ」

 迷い続けて、俺はまた気のない相槌を打った。





 次の日、七番隊、丙さんの執務室に行くと、丙さんは机に書類をどっさり重ね、黙々と隊務に励んでいた。
 執務室を訪ねるのは久しぶりだが、このひともこのひとで顔色が悪い。
 もしかしたら若菜との喧嘩を引き摺って、寝る間も惜しんで仕事をしているのかもしれない。

 俺に気付くと丙さんは顔を上げ、顔色の悪さとは反対に「おう!」と陽気な声を出した。

「どうした、何かあったか?」

「……いや、別に何もないっすよ。しばらく来てなかったから、どうしてるかなって」

「見ての通り仕事だよ。書類が溜まりまくっててな」

「大変っすね」


 机に歩み寄ってその書類を覗き込むと、通常副隊長が手を付けないような簡単なものばかりだった。
 ということは、部下の書類を山ほど引き受けているのだろう。

 そんなことをする理由はひとつ。若菜との喧嘩を忘れるためだ。

 そしてこんなに書類を引き受けたら、簡単には動けないだろう。
 つまり……若菜に会いに行く気はないってことか。

「参るよなあ。部下から上がってきた書類を確認したら、間違いだらけでさ」

 そんなの、部下に言って直させりゃあいいのに。

「ちゃんと指導してやんねえとなあ」

 それも、副長補佐や班長たちにさせればいい。

 少しずつ、苛々が募っていくのを感じた。

 そして決めた。
 花から託された手紙を渡さない、と。


 俺はふっと自嘲気味に笑って、着物の上から、懐に入れた手紙を握り締めた。









(宿木の章・完)
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