家族の絆
祐一も親父さん達のことをユキに話した。親父さんと女将さんには子供がいなかったし、それより、お互いに身寄りがなかった。そのことは、直接聞いたことはなかったが、なんとなくわかっていた。親父さんは、すごくはっきり白黒をつける人だったし、他人にあまり妥協をするようなこともなかったし、客商売にしては非常にとっつきにくかったし、特に頑固だった。初めてすし屋〔ひょっとこ〕に入ったのは、はっきり覚えていないが、確か三田祭かなにかのイベントがあって、帰りにみんなと入ったのではないかと思う。愛想の最悪のお店だというのが、最初の印象だった。しかし、寿司は最高にうまかったのを覚えている。たまたま、そのときに定期券をお店に置き忘れてしまったことから、次の日にも三田のその店まで行くことになってしまった。このハプニングがなければ、親父さんとの関係は何もなかったであろう。頑固の親父さんだったが、実際に話をしてみると真直ぐで、一本気の本当にいい親父さんだった。
おそらく学生時代のほとんど6年間を三田に行くことがあれば、立ち寄るというような感じだった。学生の頃は東横線の学芸大学に住んでいたので、三田はそんなに近くなかった。1年ぐらいたった頃から、親父さんとの話が盛り上がってくるとお店に泊めてもらうような関係になっていた。その当時の親父さんたちの住まいは確かお店の2階だったと記憶している。25年も昔の話だが、1970年代後半は、2回のオイルショックを経ても、今から思うと大変な右肩上がりだったと思う。
おそらく学生時代のほとんど6年間を三田に行くことがあれば、立ち寄るというような感じだった。学生の頃は東横線の学芸大学に住んでいたので、三田はそんなに近くなかった。1年ぐらいたった頃から、親父さんとの話が盛り上がってくるとお店に泊めてもらうような関係になっていた。その当時の親父さんたちの住まいは確かお店の2階だったと記憶している。25年も昔の話だが、1970年代後半は、2回のオイルショックを経ても、今から思うと大変な右肩上がりだったと思う。