大人にはなれない
「そういうことじゃ、ないんだよ。……美樹ちゃん、松覚えているか。ウチのいちばん若かったの」
「はい、松本さんですよね?」
「ああ、実はな、松は今年の頭に辞めちまったんだよ。何しろきっつい仕事だからよ、こっちも無理に引き留めることは出来なくてな」
松本さんの名前を口にした秋元さんの表情には、さびしげなものが滲む。松本さんはまるで秋元さんの孫みたいだと言われて可愛がられていた人だ。
「建設系はなぁ、左官に限らず業界全体が深刻な人手不足でな、本来なら分業で左官なら左官、土間工なら土間工、自分の専門職の技能だけ磨いてりゃよかったけど、昨今はそれじゃ仕事が回らねぇから、場合によっちゃあ鳶に足場組みにいろんな職を掛け持ちすることが増えて、職人の負担は半端ねぇ。
職人ってのはただでさえきつい仕事で、独り立ちするまで10年20年あたりまえなのによ、ひでえもんだ。だからますます若いのは寄り付かねぇ。毎月決まった額の仕事が入るわけでもなし、身体もガタきて若いうちからみんなあちこち骨盤ベルトだサポーターだ巻いて整体接骨通ってる。………正直言ってなぁ、俺ァ息子がいたらこんな仕事は継がせたくねぇ」
「それでも俺ちゃんと覚悟します。やり通します。途中で辞めたりしません」
「違う違う、美樹ちゃんが嫌だと言っているんじゃないんだよ。美樹ちゃんは孫みてぇなもんだ。だから業界の苦しい内情も隠さず話しておきてぇんだ」
「でも俺の気持ちは変わりません」
きっぱりと言い切る俺の顔を見て、秋元さんは痛みでも感じているかのように目を細めた。
「そうかい。殊勝な心掛けだ。………だがなぁ、理不尽な話だよなぁ……順一や咲子ちゃんがいれば………いやせめて正二のやつがあんなにあっさり逝きやがらなかったらよ……美樹ちゃんがこんな苦労することもなかったのにな……」
「あなた」
おばさんにたしなめられて、秋元さんはすこし気まずそうに苦笑した。
「おお、悪ぃ……今のはじじいの戯言だ。聞かなかったことにしてくれ。それでな、弟子入りの件はちょいと保留にさせてくれや」
落胆する気持ちがそのまま全部顔に出ていたのだろう、秋元さんは一句一句言い含めるように俺に語り掛けてきた。
「心意気は十分伝わったよ。でもな、いいかい美樹ちゃん。仕事ってのはな、男にとっちゃ人生そのものなんだ。美樹ちゃんのそんな大事な人生(モン)預かるにゃ、俺の方でも覚悟がいるんだよ。だからな、美樹ちゃんも卒業するまでまだ時間があんだから、ウチに来る以外にもうちっといろんな可能性を考えてみなよ。
……もしやれること全部やってみて、それでもダメだったときはちゃんと面倒見てやるよ。だからウチに弟子入りするなんてことは最後の最後、最終手段にでもしておきな。ウチはいつでも美樹ちゃん受け入れてやれるんだからさ」
あまりに真剣な顔で言われたので、もう食い下がってお願いすることも出来ず、その後すこし世間話みたいのをした後、秋元さんの家を後にした。でも門まで行って自転車に跨ったときにおばさんが追い掛けて来た。