潮風の香りに、君を思い出せ。

甘えることを知って

今度も鍵がないのでチャイムを鳴らす。つないでいた手はさりげなく離された。「はーい」と声がして、誰だか確認もせず香世子さんが勢いよくドアを開けてくれた。

「もう、携帯忘れていったでしょ、大地。あかりちゃんうちにもかけて来たから言っといたから。バカ息子は玄関に携帯置きっぱなしでさっきから鳴ってますって」

香世子さんは「おかえり」も言わずに一気に苦情を述べ立てる。でも明るい声だ。沈みかけていた心がふわっと持ち上がるような声。

「さんきゅ」

大地さんは慣れてるのかそれだけで済ませる。



一緒に優しいあかりの灯った玄関に入って、なんだか遠くから家に帰ってきたような気になる。私が帰るのはまだこれからなのに。

香世子さんも気が済んだようで、次は私に話しかけてくれる。

「バスで帰って来たの? 大変だったでしょ、七海ちゃん。混んでなかった?」

「そんなことないです、気持ちよかったです、海沿いをずっと走ってて」

あれ?でもバスはほとんど平らに戻ってきた。海沿いのあかりさんのお店に行くのには坂道があったのに。



考えながら靴を脱いで上がると、大地さんと目が合った。

「なに?」

「バスで帰って来る途中にあかりさんのお店もありました? 行くときは坂道があったのに」

「ああ。割と平らに行く道もあるけど、あっちの道の方がいいかなって」

さりげない口調だけど目をそらされた。下り坂で怖がらせようとして、わざとってこと? 問いかけるように覗き込むとまたそらす。やっぱりか。



「あれ、見晴らし坂登って行ったの?海が見えたでしょう。この辺で一番いい景色でね、デートスポットかなぁ、若者の」

「そんなんじゃないって、うるさいよ母さんも」

「も、って何。ああ、あかりちゃんにもからかわれたの。大地ってほんと大人にならないなぁって思われてるんだろうね」

あかりさんだけじゃなくて、お母さんにもいじられちゃう人なんだ、大地さんは。怒らないしね、ちょっとつっこみやすいのはわかる。
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