グリーン・デイ





 アヤカは布団に顔をうずめ、まるで芋虫のように身体を捩らせた。朝は弱いのかカーテンのわずかな隙間から差し込む陽を両手で遮ろうともがいている。



 ここで僕がカーテンを開け、吸血鬼のように焼けていくアヤカを想像した。アヤカが消えてしまえばきっと幻想世界は終わりを告げるのだろう。気の毒だが僕にとってはそのほうが整理がついていい。



 新学期でいろいろと忙しいというのに、平均80年の寿命の中で一瞬でも訪れてしまうと対処できないこの事象をよりによって、クリスマスにバイトのシフトを入れられる時のように、精神的にも肉体的にもきつい問題をこのタイミングでブッキングした神様は一体何を考えているんだろうか。



 まだのたうち回っているアヤカを放って、ダイニングに行き、スクリュードライバーことオレンジジュースをコップ一杯飲んだ。流しに置いてあるコップはきっと昨夜、アヤカが飲んだもので、水が四分の一ほど入ったままだった。



 それを一緒に洗い、それから冷蔵庫を開けた。普段朝食は食べないのだが、今朝はステーキを500gは食べられそうなくらい空腹に苛まれている。



 熱々に熱した鉄板の上でステーキの肉がじゅうっと焼けるのを想像した。寿司もいい。脂ぎった大トロ、安定のはまち、珍味だが僕の大好きなアンキモ軍艦……。ただ、どう頑張ってもそれが回転レーンに流れているところしか想像できない。「時価」と表示された寿司屋に未だかつて僕は行ったことがない。



 きっとアヤカは小学生の頃、冷蔵庫は食べたいものが食べたいときに出てくる魔法の箱だと思い込んでいたはずだ。そこには僕との格差が生じていて、羨ましいと思った。



 でも、その両親はアヤカの「両親」ではなかった。他人だ。それも親切な他人。



 他人からの親切心によって、欲しいものが買い与えられていたことに気付いた当時のアヤカの心情はどういったものだったのだろうか。表面上は幸せな家庭でも、根底に事実がなければ、それはどう頑張ったところで結局は好意にしか見えないこともあるんじゃないだろうか。



 もし、犬と我が娘とが同時に崖から落ちそうになっていた時、きっと100人中100人が我が娘を真っ先に助けるだろう。どんなに可愛がっているペットでも、腹を痛めて生んだ娘の命の方が大事に決まっているし、そうでないと人間性を疑う。



 アヤカの両親はきっと我が娘と同じくらいの愛情を注いでいたはずだ。でも、アヤカ自身の気持ちとしては、どこか疑ってしまうものなのだろう。こればかりは、どんなに優れた心療内科医でも治すことのできない、不治の病だ。




< 33 / 136 >

この作品をシェア

pagetop