ポラリスの贈りもの
10、偽りの城

「風馬?」と声を掛けながらで鍵を外し、
少しだけ開いた瞬間、ドアはすごい勢いで引き開けられる。
その反動でふらつき壁に凭れたけれど、
大きく見開いた私の目は黒い影の正体をしっかり捉えた。
そこに立っているのは風馬ではなく颯で、
顔の底に憤りを湛えているけれど、空港で見た怒りとは違い、
何かの戸惑いを抱えているようにも見える。
再び連れ戻される恐怖に後ずさりした瞬間、颯は凄い力で私の両腕を掴み、
部屋の中へ押し戻すとその勢いのまま畳に私を押し倒した。
逃れようと必死で抵抗するも、彼の腕は放そうとしない。


颯 「やっぱり此処だったんか!」
星光「颯!?」
颯 「探したんだぞ!」
星光「何故ここが分かったの!?」
颯 「そんなことはどうでもよか!
  星光、なぜ俺から逃げる。
  何故風馬と一緒にいるんだ!」
星光「ちょっと。颯、放して……」
颯 「星光は何故こんなに俺を困らせる……何故!」


憤りを隠せない心は口を押し開け、笛のような息とともに外にあふれる。  
しかし、両腕にかかる力強さとは裏腹に、
颯の目の奥はどこか寂しさを湛えていた。
今までと雰囲気の違う颯に一抹の戸惑いを感じるも、
差し迫った現状に抵抗せざるを得ない。


星光「痛ぃよ……お願いだから放して」
颯 「今日空港で星光と一緒に居た男は誰なんだ。
  なんであんな奴と行こうとした!」
星光「彼が誰で、私が誰について何処にいこうと関係ないでしょ!?」
颯 「いつもお前はそうなんだ。
  本当の気持ちを言ってくれない。
  昔から俺が何を言っても、ただ遠い目をして下をむく。
  どうして俺に心を開いてくれないんだ。
  こんなにお前が好きなのに。
  だから俺は、どうしていいかわからなくて加保留に……」


徐々に勢いを無くした彼の姿とぽたぽたと落ちる颯の涙を見ながら、
同時に彼に対する自分の本心も知らされる。
訴えるような視線や言葉に愛情はもちろん、同情も罪悪感すらも感じない。
キラキラと輝いていたはずの想い出も色あせて、
今まで付き合ってきた年月で培った信頼も、
まるで夏の嵐に根こそぎもぎ取られてしまったように消えている。
私は溜息の後、涼しい顔で彼の目をじっと見つめて、
諭すような口調で切り出した。


星光「そうよね。
  やっぱり貴方にはわからないよね。
  颯はね、いつも『俺は、俺は』って言ってる。
  以前からずっと。
  私のこと大切だっていいながら、想ってくれる言動じゃなかったもの。
  仕事だってそう。
  私が大神楽の娘だから特別視してただけで、
  一度でも一人の女として接して愛してくれたことはなかったわよね」
颯 「星光、それは」
星光「これまでずっと、自分の大義名分を優先したのよ。
  だから空港でもそうだし、今もこうやって探しに来たのは、
  母や父に言われてきたからで、自分の意志じゃないものね」
颯 「今まではそうだったかもしれない。
  それは否定はしないよ。
  でも、今は違う!
  俺は星光が必要だし、失いたくないから自分の意志でここにきたんだ」
星光「ふっ(苦笑)まだそんなこと言うのね」
颯 「聞けよ!星光が濱生の娘じゃないって知った今だから、
  自分の気持ちがはっきりわかったんだ!
  家柄とか地位とかまったく関係なく、
  ひとりの女性として星光が好きだったって」
星光「えっ。
  (今。濱生の娘じゃないって、言った?)
  颯の言ってる意味が解らない。
  もう、私を放してったら!」


私の両手首を抑え込んで上に乗ってる颯を、
ありったけの力で押しのけるようにもがくと、
彼はそれよりも強い力で押さえつけて動きを封じる。


颯 「知らなかったのか。
  星光は濱生社長の娘じゃないって。
  社長の娘は加保留なんだよ。
  加保留は社長が当時旅館に努めてた女性との間に生まれた娘で、
  それを知った社長が、大神楽に加保留を迎え入れたんだ」
星光「何、それ……。
  でたらめ言って私を騙そうとしてるの」
颯 「違う!こんな大事なことがでたらめで言えると思うか!?
  お前、自分の戸籍謄本取ったことあるか。
  疑うなら一度自分の目で確かめてみろ」
星光「……それ、誰から聞いたの」
颯 「加保留だよ。
  俺もついさっき事実を聞かされた。
  あいつから戸籍を見せられて、社長ももちろん知ってることだそうだ。
  でも、その事実を知って俺は、
  星光が自分にとって掛け替えのない存在だとわかった」
星光「(それじゃ、私は何者?
  誰の娘なの……私の両親って誰なの!?)」
颯 「星光があの家を出てどこかに行きたいなら、俺が一緒に居るよ。
  もう、大神楽に未練なんかない。
  星光が居ればそれでいい。
  今から俺も荷造りしてくるから、
  一緒に何処かへ行って暮らそう。なっ!」


抵抗していた私の全身は、見えない無数の刃に突き立てられ無力になる。
そして、一瞬で気力を奪われた心が自然と涙を押し出し両頬を静かに伝った。
すると大きな音と共にドアが勢いよく開き、
「星光!無事か!」と風馬が叫びながら入ってきた。


上から押さえつけられて、力をなくした私の姿を見た途端、
カッカとマグマのようなものが全身を駆け巡り、
鬼よりも恐ろしい表情と怒鳴り声を発した。
私の上にいる颯に向かって体当たりするように飛びかかり、
颯はその勢いで部屋の奥に飛ばされ倒れこむ。
それでも尚、風馬は彼の動きを封じ抑え込んだのだ。
揉み合う二人を横目に見ながら、私はゆっくり上半身を起こし、
座ったまま身体を引きずるように後ずさりして部屋の隅で小さくなる。



風馬「貴様!星光に何したんか!」
颯 「お前こそ俺の女に何するとや!」
風馬「星光はお前に愛想を尽かしたったい!
  それも分からんとか!」
颯 「これは俺と星光の問題で、部外者のお前には関係なかやろ。
  星光はこれから俺と暮らすったい!」
風馬「そんな勝手なことさせるわけなかやろ!」


互いに殴り合い揉み合いながら、怒りの感情をぶつけ合う二人をみても、
私の感情は奪われたままで、ぼーっと一点を見つめる。
風馬は争う最中もそんな変わり果てた私の姿を見て、
何かを覚悟したように叫んだ。



風馬「星光!今のうちに荷物を持ってここから出ろ!」
星光「……」
風馬「星光!お前の車のキーは刺さったままにしとる。
  早く荷物を積んで行け!」
星光「風馬……」
風馬「おい、しっかりしろ!!
  北斗さんが待っとるんやろう!
  あの人のところに行け、早く!!」
星光「はっ(北斗さん!)」



私は風馬の言葉に促され我に返り、泣きながら立ち上がると、
置いていたバッグと、畳の上のフォトブックを抱えるように持ち、
玄関に足早に向かった。



星光「風馬!私……」
風馬「もうよか!俺はいいから行けって!」
颯 「星光、行くな!」
風馬「これからどうすればいいか、お前がいちばん解っとるやろ!」
星光「もう……風馬、ありがとう!」


私はぎゅっと目を瞑り、開け放たれたドアから外へ向かって走り出した。
そして、荷物を後ろの席に投げ込むと運転席のドアを開け、
慌ててキーを回しエンジンをかける。
後ろを見ながら勢いよくバックしハンドルを左に切ると、
車を方向転換させて、思い切りアクセルを踏み込んだ。
ただ目の前に広がる道路と標識だけを見て、
時々視界を遮る涙を拭いながら、ひたすら大通りに向けて走らせる。
偽りだらけの世界に未練はないと決別を叩きつけるように……



私が去った風馬のアパートには、既に争う二人の姿はなかった。
はぁはぁと荒い息遣いの風馬と颯は、畳に寝転んでじっと天井を見つめる。
互いに生きる希望が居なくなった悲しみに打ちひしがれた表情を浮かべて。



颯 「お前は昔からどうしようもないバカっちゃん。
  カッコつけて自分の気持ち抑え込みやがって」
風馬「ふん。至らんお世話ったい!
  俺は自分の気持ちなんかどうでもよか。
  星光さえ幸せでいてくれたら、自分の想いとかはどうでもいいんたい」
颯 「そんなんやから、お前は何時まで経っても、
  大事な人の心を捕まえられんって分からんとか」
風馬「恋敵のこと心配するより、自分の心配せえよ。
  お前、大神楽に星光を連れて帰れって言われとるんやろ」
颯 「ああ。でも、もうどうでもよか。
  星光が濱生の娘じゃなかったって分かって、
  目の前から星光が居なくなった今、
  俺にとって大神楽はもう“偽りの城”でしかなかけんね。
  加保留とも続ける気力もないしな」
風馬「は!?お前、今何て言った」


聞かされる意外な事実に驚き、
風馬は勢いよく起き上がり颯を見る。
彼はまだ天井を見つめたままで淡々と話を続けた。


颯 「だから、星光は養女やったってこと。
  濱生の実子は加保留だってあいつから聞かされた」
風馬「おい、まさか。それを星光に伝えたのか!」
颯 「ああ。いずれ何かの形で知ることやろ。
  いろんな公的手続きすれば、嫌でも分かる。
  星光にとっても知っておくべきことやろ」
風馬「お前と加保留の事でズタズタのあいつに、
  そんな残酷な事よく言えたな。
  思い詰めて、また身投げしたらどうするとや」
颯 「身投げ?そうじゃなく、あの背の高い男のところへ行ったんやろ」
風馬「そ、それはどうだか……」
颯 「はーっ。加保留の戦略勝ちっちゃん。
  俺も星光もあいつに振り回されたってこと」
風馬「(星光、大丈夫だろうか。頼むから連絡してきてくれ)」


風馬はジーンズのポケットから携帯を取り出した。
待ち受け画面にある微笑む私にじっと視線を向けて
一身に祈る様に見つめていたのだった。



星光「私って誰なの……
  何故、何のためにこの世に生まれてきたの……」


そんな一途な気持ちを向けられているなんて微塵も知らない私は、
まるで心をなくした廃人のように、
アスファルトに照りつける太陽の熱で蜃気楼のように揺れる国道3号線を、
ただひたすら北に向かって走らせていた。
助手席のシートに北斗さんのフォトブックをのせて……


(続く)


この物語はフィクションです。
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