いじめのある教室
半田鞠子(逃亡者)
毎日退屈だなんて言ったら大人は怒るんだろう。

 子どもには労働も義務も責任もないくせに、時間と自由だけはたっぷり与えられている。好き放題気ままに振る舞って、後片付けは結局大人に押し付ける。そんなわがままで自分勝手な生き物が退屈だとは何事かと。

 でも実際、子どもには大人が思ってるほど自由なんてない。大人は仕事やら人間関係やらでストレスが溜まったらお酒を飲んだり夜遊びしたりで発散できるけど、子どもが同じことをすれば補導され不良の烙印を押されるわけだし、じゃあ髪の毛を染めたり化粧したりスカートの丈を詰めたり、身の丈にあった方法でやろうとしてもやっぱり「今どきの子は」って眉をひそめられる。

働く義務も責任もなく、むしろ働いちゃいけないから、お金もない。ファッション雑誌やネットを見てたら欲しいものは後から後から腐るほど出てくるけど、月々三千円のお小遣いじゃその半分も手に入らない。

 子どもには自由も労働も義務も責任もお金もない。なのに、時間ばっかり掃いて捨てるほどある。退屈じゃないわけないじゃん。よく夢とか目標とか何か夢中になれるものをひとつ見つけなさいなんて言うけど、そんなの誰にでもすぐ見つかるわけじゃないし。

 思うに中学校でいじめが大量発生するのは、みんな退屈だからなんだと思う。家と学校の往復、興味を持てない勉強、ちょっとでもバランスを崩せばすぐ壊れる危うい人間関係、中学生の子どもなんてどうせろくなことしないんだからと常に目を光らせてる親。

そういうものからどうにか逃れたくて退屈な日常を少しでも面白くしたくて、みんな必死なんだ。いじめは、日常の中でちいさな非日常的刺激をプラスしてくれる。

 酒を飲むな夜遊びするな髪の毛染めるな化粧もするな、そんでもっていじめでストレスを発散するのは人間として一番卑劣な行為だなんて、どっちが卑劣なんだっつうの。
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