また、部屋に誰かがいた
五月の連休が終わって、数日が過ぎて、そろそろ梅雨入りがテレビの天気予報で話題となっていたが、その日は快晴だった。そんな穏やかな昼下がり
小林佐和子はぼんやりと昨夜の悪夢を思い返しながら、入れたての紅茶が入ったティーカップに口をつけた。
まだ幼かった頃の恐怖体験は時折、夢となって彼女を悩ませていた。
いま彼女がいるダイニングキッチンから引き戸で隔てられた隣の和室では内装工事の音がうるさく響いている。
「ふう」テーブルの上にティーカップを置き、彼女はため息を一つついた。
今年45歳になる彼女の父親は酒乱の癖があったが、彼女が9歳のときに突然いなくなった。
ほかに女ができたのか、それとも家族に対して暴力を振るってしまう自分に嫌気がさしたからか、父の家出の理由はわからないままだが、父親がいなくなって彼女はほっとしたことを今でも覚えている。
そんな父に母はさんざん苦労したというのに、佐和子も結婚に失敗したのは、もう15年も前のこと。
幸い子供もいなかったため、浮気性だった夫との離婚に対して彼女が躊躇する理由は全くなかった。
つまり「親子で男を見る目がなかった」のだ。

離婚後も東京で不動産関係の会社に勤めながら一人暮らしをしてきた彼女だったが、先月、その会社を辞め、マンションも引き払って、実家のある新潟県西部にある人口3万人程度の地方都市に移り住むことにした。
その理由は年老いた母親の介護である。数年前に農作業をしていた母が転倒して腰の骨を折ってしまい、数か月、病院で寝たきりの生活を送った。
結果、その入院生活から母が再び元気に立ち上がることはなかった。
寝たきりの生活によって筋力の衰えは全身に達し、そんな生活は彼女の脳まで蝕んだ。
すっかり寝たきりになってしまった母親の介護のため、週末には東京から新潟へ移動する生活を数年、続けてきたが、移動やヘルパーにかかる費用や、彼女自身にかかる身体的負担もあったための決断であった。

和室の工事は「床の補強工事」
在宅介護のために畳張の部屋に介護用のベッドの入れるための工事だ。
いま行われている工事が終わったら介護用のベッドを部屋に運び入れるため、梅雨前のこの時期に晴れたことを佐和子は喜んだ。
最初、業者の作業を見守っていた彼女は、畳の下が薄い板が敷いてあるだけで、それをめくると地面が見えたことに驚いた。
「日本家屋ってこんなものなの?」少し驚いてからも、その地面の上に土台を築き、丈夫な板で床を築く工程を興味深く見学していたが、やがて、それにも飽きてしまい、ダイニングのテーブルでお茶を飲んでいたのだった。
この家は両親が建売で昭和50年代に買ったものだと聞いている。1階にはダイニングキッチンのほかトイレや浴室に洗面所と和室が2部屋あり、2階には洋室が2部屋ある。




< 4 / 147 >

この作品をシェア

pagetop