嘘は世界を軽くする
8章 藤川唯
 まず、はじめに。

 この手紙が読まれているということは、私はもうこの世にはいないということだと思います――――なあんて、こういうのって遺書の定番の書き出しだよね。

 実は、一度、こういうのを書いてみたかったんです。だって、何だか映画みたいでカッコいいし、大人っぽいし……あ、いま、誰か笑ったでしょ? さては、マー子だな? それともサユとイッちゃん?

 ううん、ユミ蔵は泣き虫だって知ってるから、今日もわんわん泣いてるだけで、私の言葉なんか全然聞いてないことなんか、お見通しだよ。まったくもう、ちゃんと準備してプロの人に読んでもらってるんだから、ちゃんと聞いててよね。これが私の最後の言葉なんだから。

 ……えっと、じゃあ改めまして。

 本日は、私こと、藤川唯のお葬式にお集まりいただいて、本当にありがとうございます。残念ながら、私はもうみなさんに直接お礼は言えませんけれど、生前筆を取りましたこの手紙をもちまして、お礼の言葉とさせていただきます。

 私は――ご存じの通り、一年半くらい前、心臓の病気にかかってしまって、まあ、いろいろ検査もして、難しい病名をつけられたりしたんですけど、とにかくお医者さんが言ったのは二十歳までは生きられないだろうって、そういうことでした。

 嘘でしょ、って初めは思いました。みんなでグルになって私をだまそうとしてるんだって。

 いま考えたら、そんなことして何の得になるんだろうと思うけど、そのときは本気でした。嘘だよねって何回もお母さんに確認して、困らせました。

 ごめんなさい、お母さん。きっと、嘘だって誰よりも思いたかったのはお母さんだったと思います。いつも優しいお母さん。泣きじゃくる私に、嘘だよって、唯は大丈夫だよって、どんなにそう言いたかっただろうと思うと、辛くなります。

 けど、それでも、お母さんは私の前で決して涙を見せませんでした。

 それどころか、泣いてばかりの私を気分転換に外へ連れ出してくれたり、同じ病気で苦しんでる人の闘病記を探してきてくれたり、映画を借りてきてくれたり、そのおかげで私は残り少ない時間を前向きに生きることができたと思います。ありがとう、お母さん。

 お父さん。まずは私のために、転勤してくれてありがとう。東京育ちのお父さんは、最初、車の運転に慣れなくて苦労してたよね。だって、東京じゃ、どこでも電車で行けたから、車なんて必要なかったもんね。

 運転だけでも慣れないのに、すっごく降るっていう島根の冬の雪に、夏の間から怯えていたのを思い出します。この手紙を書いているいまは、まだ雪は降ってないけど、お葬式の時はどうかな? 来る人が大変だから、降っていないことを祈ります。

 私、お父さんとお母さんの子供に生まれて良かった。ずっと思ってたけど、恥ずかしくて口にはできなかったことを、いま、全部言おうと思います。

 お父さんとお母さんのことが、私は大好きです。お父さんとお母さんが私の両親で本当に良かった。生まれた瞬間から、十六年間、私はずっと幸せで、幸せすぎて、だからこんなに死んじゃうことが怖いんだと思います。

 死んだら、お父さんとお母さんにもう会えないから。幸せだった人生を手放すことになっちゃうから。こんな病気にならなかったら、私の幸せな時間がもっともっと続いてたんだろうな、と思うと、本当に辛くなってしまうから。

 けど、仕方ないよね。

 これが運命なのか、それともそういうんじゃないただの偶然みたいなものなのか、そんなことはわからないけど、受け入れるしかない。私にできることは、きっとそれだけ。

 でも、この病気を受け入れても、私は最後の瞬間まできっと、死にたくないって、そう思ってると思います。お父さんお母さんと離れたくない、みんなとお別れしたくない、私はまだ消えてしまいたくない。きっと、そう思ってる。

 ほかには何も望みません。ただ、普通の人生を送れたら。みんなのように高校を卒業して、頑張って受験して大学に行って、就職して、働いて、結婚して、子供が生まれて。

 お母さん。そしたら私、お母さんみたいに強いママになるよ。子供が転んで泣きべそかいても、大丈夫だよ、って言ってあげて、熱を出したら一晩中看病してあげる。

 お父さん。私が結婚する人は、きっとお父さんみたいに優しい人だよ。お酒が飲めるかどうかはわからないけど、少しならお父さんに付き合ってくれると思うよ。そうして男二人で酔っ払って、お母さんや私の愚痴を言うんでしょう? もうちょっとお小遣い増やしてくれたらなあ、とか、孫や子供にばっかり甘いんだからなあ、とか。

 もう、全部わかるよ。わかっちゃうよ。ドラマのワンシーンみたいに目に浮かぶよ。

 でも……これはもしかしたら、神さまが見せてくれてる未来なのかもしれないね。もし、私が生きられたら。そうしたら、こんな未来が待っていたんだよって、神さまが特別に教えてくれてるのかもしれない。

 だって、そうじゃないとおかしいくらい、私の胸にはその光景が鮮明に浮かんでる。見えるんだよ。年を取ったお父さんとお母さんが、私の優しい旦那さんが、可愛い子供が。

 みんなにも見せたかったなあ……なんて、それはもう無理なんだけどね。ホント、悔しいな。けど、きっと悔しいばっかりじゃないよね。

 サユ。
 マー子。
 イッちゃん。
 ユミ蔵。

 私には、見ることのできなかった未来に進むことのできる大親友たちがいる。ね、そうでしょ? だから、どうか泣いてばかりいないで、顔を上げて欲しい。あのとき、会って話したとおりに、前を向いて歩いて欲しい。

 ああ、みんなには言いたいことが多すぎて、うまく書けないよ。でも、まずは……そうだね。先にもう一度お礼を言おうと思う。

 みんな、今日、お葬式に出席してくれてありがとう。ろくに手紙も返さなかった私に、あの日、わざわざ島根まで来てくれて、本当にありがとう。

 あのときも言ったけど、私は病気のことを隠してた。私が死んだらみんな悲しむ、だから、何もいわずに東京を離れた。だけど、それは間違ってた。それはみんなに聞いて欲しいっていう自分の心にも嘘をつくことだったし、みんなをさらに悲しませることだった。

 だって、逆の立場だったら、私は絶対に言ってほしい。同じ「悲しい」だったら、打ち明けてもらって悲しみたい。一緒に気持ちを分かち合いたい。黙って死んじゃうなんて、そんなこと絶対にして欲しくない。

 そんな当たり前の気持ちを、みんなの気持ちを、私は無視してた。ごめんなさい。そして、そんなバカな私を受け入れてくれてありがとう。みんなが友達でいてくれて、本当に良かった。

 サユ、イッキと末永くお幸せに。マー子、マー子なら絶対最高のパティシエになれるよ、頑張って! イッちゃん、男はコバッチだけじゃないよ! ユミ蔵、一生泣き虫でも、私は笑わないよ! けど、笑顔のほうがユミ蔵は可愛いよ。

 ……それから、もう一人。

 この島根で、私の新しい友達になってくれた人。

 彼のおかげで、私はこの大親友たちの大切さに気づくことができ、また再び連絡を取る勇気を出すことができました。

 とはいっても、出会ったときから、私と彼の間にはたくさんの勘違いや嘘が邪魔をしていて、彼とちゃんと向き合うことができるようになったときには、私たちにはほんの僅かな時間しか残されていませんでした。

 だけど、その僅かな時間、私たちの心は確かに通じたと思います。私はそう信じています。

 だから、この場を借りて、私は彼にも心からのお礼を言いたいと思います。

 ありがとう。あなたに会えて本当に良かった。

 私は先に向こうに行きます。あの現世と黄泉を繋ぐ朱色の道で、あなたが来るのを待っています。耳を澄ませて待っています。そして、あなたの足音が聞こえたら、今度は私が振り向きます。久しぶり――そう言って笑ってくれるだろう、あなたの姿を。

 だからいまは、しばしの間。

 さようなら、月森くん――――
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