もう一度君に会えたなら
「ただ見るだけでいいよ。だってあのときも」
「あのとき?」
「なんでもない」

 わたしは何を言おうとしたのだろう。そういえば夢でもそうだった。
 海を見に行こうと約束をして…「わたし」は行ったのだろうか。

 そもそもわたしがわたしかもわからないわけで。
 考えを巡らせていると、明るい声が届いた。

「いいよ。付き合ってあげる」

 そんなわけでわたしはそれから一時間後に待ち合わせをして海に行くことになった。

 地下鉄の駅を出ると、潮の香りが届いた。そこから歩いて数分のところに海があるため、わたしたちは歩いて海まで行くことになった。細い道を抜けた後、一気に広い世界が目の前に広がった。ここではない。そう分かっているはずなのに、心臓が大きく鼓動した。目の奥がじんわりと熱を持つのが分かった。

「やっぱり寒いね……」

 榮子は顔をしかめ、わたしの腕を掴んだ。
 わたしと海の間に入ると、腕を掴んだ。

「あそこでなにか食べよう。おごってあげるから」
「まだついたばかりなのに」
「急にお腹が空いたの」

 彼女の指した先には木造建築の家を改装したと思しき喫茶店があった。
 わたしは意味が分からず、彼女に腕を引かれた。
 そのとき、強い風がわたしの脇を抜けた。

 わたしは風に促されるように、後ろを振り返っていた。そして、一秒後目を見張っていた。
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