どうしてほしいの、この僕に
 私の脳内で一瞬、ある商品が閃いた。それはソフトクリームがそっくりそのままパッケージされたもので、他のアイスクリームと一緒に店内の冷凍ケースで売られていた。濃厚なミルクの味が印象的で、私も子どもの頃から大好きだった。100円という安さゆえに地元の人間ならたぶん誰もが知っている有名な商品だ。
 あれはどこにでも売っているのかな? 少なくともこの辺りでは見かけないけど。
「それ、地元って……どこ?」
 訊いてから、優輝の顔を見てハッとした。
 彼はうっすらと笑みを浮かべているが、目だけが笑っていない。突き刺さるような鋭い眼光を私に向け、さらに少しだけ目を細めた。
「どこだろうな。忘れた」
「うそだ」
「うそじゃない。過去は捨てた」
「なにそれ」
 思わず身を乗り出したけど、優輝はわざとらしく時計を見て「遅刻するぞ」と冷たく言い放つ。
 私は残っていたサラダを急いでほおばり、最後に牛乳を飲み干して立ち上がった。
「恋人って、本気なの?」
 優輝を見下ろして言う。
「不満?」
 彼は私をまっすぐに見つめ返した。さっきの酷薄な表情は消え、瞳が一瞬揺れたように見えた。
「そうじゃなくて、私は優輝のことを何も知らないのに、それでも恋人って言えるのかなと思ったの」
「よくばりだな。どうせすべて知ることなんかできないのに」
「でも私は、優輝が本名なのかどうかさえ知らないし」
「本名だよ。いいから、もう行け。皿は洗っておくから」
 時計を見ると、家を出ると決めた時間が迫っていた。もう少し話していたいけど、遅刻するのはまずい。仕方なく優輝に背を向けた途端、なぜかクスクスと笑われた。
「焦らなくても、これからゆっくり教えてやるよ。ひとつひとつ、手とり足とり、な」
 背後からのあやしげな発言は聞こえなかったことにして、私は出勤の準備を急いだ。

 もしかしたら優輝は私と同郷なのではないか。
 電車に揺られながら私は朝食の会話を反芻し、その思いを強くした。とぼけてごまかしたのがいい証拠だ。『忘れた』なんて発言、誰が本気で信じると思ったんだろう。
 優輝のことがますますわからなくなった。彼の部屋から外に出て、ひとりになって考え始めると、不可解なことばかりでもやもやする。
『俺、誰とも付き合う気はないから』
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