さよなら、世界
「もっと離れて歩けよ」
「……はい」
すみません、と口の中で呟いて、足を止めた。
街路樹の陰で、「いち、にい」と、数字を数えていく。彼の広い背中が角を曲がって消えたあとも、必要以上に遅く、母親とお風呂に入っていたときみたいにゆっくり、ひとつひとつ数字の輪郭をなぞるように数えていく。
アパートの狭い湯船は、ふくよかな母とふたりで入るとすぐにお湯が溢れた。母は長い髪をバスタオルで頭上にまとめていて、その姿がターバンを巻いたマハラジャにそっくりだったため、よくインド人の真似をしていた。
「カレー食ベマスカ~?」
カタコトの口調でそう言って、両手を合わせるだけ。インドといえばカレーという安直な発想で、今考えればインド人にとても失礼なクオリティの低さだった。
それでも私は母のモノマネが大好きで、必ず笑った。ともすれば自分もターバンを巻いてもらい、ポーズを真似した。湯気が立ち込める浴室で、似非インド人の親子は、ゆっくり数字を数えた。
「ひゃく」
千くらいまで数えたいところだけど、あまり遅くなるのもよくない。もうすっかり見えなくなった川崎七都の背中を追いかけるように、私は歩き出した。