ふたりだけのアクアリウム


佐伯逸美、27歳。
食品メーカーに事務員として勤めて早数年。
大きな贅沢をしなければ快適なひとり暮らし生活を送れるほどのお給料をもらいながら、淡々と仕事をこなしてきた。

これといった趣味は料理くらいで、休みの日にほんの少し凝ったおかずを作る程度。
変わり映えのしない日々を送っていた。


プライベートで嫌なことがあったって、社会人たるもの顔に出しちゃいけない。
いつもやっていたように明るく笑って、元気印とまではいかなくても、職場の雰囲気を盛り下げるようなことだけはするまいと踏ん張る。


「お疲れ様でーす!賞味期限ギリの試作品でーす!」


同期の山口ががさつな態度でバン!と事務所のドアを開けて、ダンボールを真っ逆さまにして私のいる事務のデスクへバラバラと小型の箱を落とす。

数ヶ月前に開発されたばかりの、チョコレートのお菓子が入った箱だった。
ザッと見ただけでも70箱くらいある。


試作品はあくまで試作品。問屋に持っていって味見してもらったり、小売店に配ったりはするけれど、さすがに正式に商品化していないのに賞味期限が差し迫っているものを渡したりできない。

そうなると、こうやっておこぼれが社員にやって来るというわけなのだ。


それにしても、今回は数が多い。


「山口くん、嫌がらせ?私たちを太らせる気?」

「そんなまさかぁ。美人でスタイルのいい事務の皆様だからこそこうやって持ってきたんじゃないですか」


3つ上の事務の先輩である茅子さんが山口をジロリと睨んだのもつかの間、営業マンでもなんでもない製造部の山口の口車に乗せられ、まんまとご満悦の表情へと変化した。


「なっ、佐伯も食えよ。チョコ好きだろ?」

「えっ?私?……嫌いじゃないけど、そこまで好きなわけじゃ……」


疲れた時にひとかけら食べればあとはご馳走様、くらいの好きのレベルなのに、山口は何故か私をチョコ好きの女に認定していた。


私が否定したからか彼はクリッとした小動物系の目をパチクリと見開き、無駄に爽やかなその整った顔をキョトンとさせた。


「嘘だろ?お前、ついこの間までチョコ系の試作品の余りは大量に持って帰ってたじゃんか」


無邪気な疑問を聞いて、私はハッと息をのむ。
山口に言われるまで気づいてなかった。
あの人がチョコレート好きだったから、彼のためにたくさん持って帰ったりしてたんだっけ。


嫌だな、あの人のことが染みついたのが私だけじゃなく、周りの人にも馴染んでしまったなんて。
ひどく物悲しい気持ちになった。

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