memory refusal,memory violence

伝わらない


 それ以降、再びお兄ちゃんと話さない日々が続いた。一見何も変わらない日常。けれど、私の中ではあの日を境にお兄ちゃんを見る目が確実に変わってしまった。以前に比べてお兄ちゃんがとても不安定なものに見えてしまう。今まで私が気付いていなかっただけであって、もうずっと、お兄ちゃんはそうだったのだろう。お兄ちゃんは私と違い、いざという時に甘えられる人がいない。お兄ちゃんは、きっと私には甘えてくれない。だから、寂しいという言葉も霞んでしまうくらいの孤独感を六年以上、ずっと感じていたのかもしれない。そこに元母親からの手紙が届いた。お兄ちゃんも自分たちは捨てられたということくらい気付いているはずだ。

 けれど、今更であっても優しく手を差し伸べてくれる肉親に甘えたかったのかもしれない。お兄ちゃんの中には、私が昔のお兄ちゃんを思い浮かべるように、たぶん今も、昔の優しい母親が生きているから。

 それでも、だからと言ってそんな都合のいい話はない。耳を傾けてはいけない。お兄ちゃんの耳を傾けさせてはいけない。私たちは一度あの人に捨てられたのだ。あの人とはもう家族ではない。信じてはいけない。

 私はお兄ちゃんと元母親が文通をしていると知って以降、執拗にポストを確認するようになった。お兄ちゃん宛てのものを見つければ、何であっても中身を確認した。本当はこんなことしたくないのだが、お兄ちゃんが元母親と文通をしている。しかも、お兄ちゃんを連れ戻そうとしていると分かった手前、こうせざるを得なかった。お兄ちゃんは気付いているだろうが、何も言ってこない。そして、あれから元母親らしき人からの手紙は何日経っても届いていない。

 本当に手紙のやりとりをやめたのだろうか。

 そうであれば問題は解決されたことになる。けれど、にわかに信じがたかった。メールなどの手段は考えにくい。バイトはしていないはずだから、携帯電話を持てるほどの余裕は高校生のお兄ちゃんにはないはずだ。四葉も経済的問題なのか、それとも方針なのかは分からないが、高校生だからといって携帯電話をもたせたりしていない。もしメールをするとするなら、リビングにあるパソコンでするしかない。でも、私はお兄ちゃんがリビングでパソコンを触っているところを見たことがない。メールという手段も考えにくいだろう。固定電話も同様だ。

 しかし、お兄ちゃんがもう元母親と連絡を取っていないということはもっと考えにくい気がした。私は自分でお兄ちゃんっ子であることは自覚している。お兄ちゃんが絶対という考えまで前は持っていた。お兄ちゃんが違うと言えば違うし、そうだと言えばそうだと思ってきた。でも、今回はどうしてもお兄ちゃんを信用できなかった。今回だけはお兄ちゃんを信用してはいけない。私がお兄ちゃんを守らなければいけない。そう思った。

「お兄ちゃん」

ある日、私は夕飯を終えると自室に戻ろうとするお兄ちゃんに声をかけた。お兄ちゃんは何も言わずに振り返る。

「今から部屋に行ってもいい?」

 リビングが少しざわつく。周りは、私とお兄ちゃんが揉めたことを知っている。それもそうだろう。四葉は誰かが少し大声を出せば建物全体に声が響く。その時は大丈夫かと職員の今村さんなどを含む数人が声を掛けてた。

「いいよ」

 お兄ちゃんはそんなことには目もくれず、小さく頷きながらそう言った。

 部屋に入り、前と同じように私はベッドに、お兄ちゃんは机の椅子に座る。私が破り散らかした手紙はさすがにもう片付けられていた。

「話って?」

 お兄ちゃんは椅子に座るなり、すぐに私に話を振る。前の事を忘れたはずはない。兄妹喧嘩とはいえ、あれは私とお兄ちゃんがした初めての大喧嘩と言っても過言ではない出来事だった。けれど、お兄ちゃんは前の事がなかったかのような振る舞いをする。まるで、自分が相談に乗るかのような、そんな無駄に余裕があるその様子を見て、私はまた、お兄ちゃんの事を不気味だと感じた。

「前は私が無理やり話を終わらしちゃったから、前の続きを話したいと思って……」

「そっか」

「まだ、あの女と手紙とかしてるの?」

「なぁ、あの女って言い方はよくないと思うよ」

「ごめん。でも、私にはあの人をお母さんとか、そういう呼び方をすることはできない」

「そっか。残念だけど、まぁ無理強いはしない」

「それで、まだ連絡とってるの?」

「前にもうしないって約束したじゃないか」

「そうだけど……そうなんだけどね、私はそのことに関してはお兄ちゃんを信用できないよ」

 そこで初めてお兄ちゃんは少し顔を歪めた。鼻の上を人差し指で掻く仕草を久しぶりに見る。それはお兄ちゃんが困った時の仕草だ。元父親から暴力を受けている時以来だろうか。とにかく、もう何年も見ていなかった仕草だ。

「やっぱり、まだしてるんだ……」

「困ったな」

 お兄ちゃんはヘラヘラと笑いながらそう言った。

 そうだろうとは思っていた。けれど、そうと分かればやっぱりショックで、私はベッドのシーツを強く握った。今日はここで声を荒げるようなことはしちゃいけない。あの時からそんな気がしていたとはいえ、お兄ちゃんは私との約束を破った。お兄ちゃんが私との約束を破ってまで元母親と文通をする理由。それを聞かなければ話は進まない。話をしなくても兄妹だから分かり合えるなんていう根拠のない理屈は、もう通じないんだろうなと私はその時ふと思った。

「お兄ちゃんはあの人と連絡取ったりなんかして何がしたいの?」

「お前には分からないと思うよ」

「そうだろうね。分かる気がしないし、分かる努力をする気もない。でも、お兄ちゃんの話は聞きたい」

 お兄ちゃんはしばし沈黙する。建物全体がやけに静かなような気がした。

「分かった。全部話すよ。元々は俺から始めた話だし」

 しばらく考えた後、お兄ちゃんはそう言った。そしてその後、こう付け加えた。

「だから、理解するつもりがないならもう俺のすることに口出ししないでくれ。俺ももう高校生だ。自分の事は自分で管理できる。中学に上がったばかりのお前に自分の行動を制限されたくない」

「そんなこと、出来るわけないじゃん」

 私はお兄ちゃんの行為を肯定するためにここに来ているわけじゃない。
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