memory refusal,memory violence

実験

 次にあの女子高生に会ったのは一ヶ月後だった。向かいの山に咲いていた数本の桜は散ってしまったようで、所々淡いピンク色だった箇所も新緑に模様替えを終えている。彼女を初めて見かけてから、長期連休を抜きにしてこれほど彼女を見かけなかったのは初めてなような気がする。前は冷たくあしらってしまったが、私も彼女に多かれ少なかれ興味が湧いてしまっていたから、今度会ったときはもう少し話をしようと思っていた。故に一ヶ月姿を現さなかった女子高生に少しばかり苛立ちを覚えていた部分もあった。だが、今日は現れた。一ヶ月ぶりに見た女子高生は私を見かけるなり、こちら側の歩道に渡り、私の方に躊躇いなく近づいてきた。

「一ヶ月ぶりですね」

「そうですね」

 女子高生の様子は一ヶ月前と何も変わらない。無表情で、美しい。

「この一ヶ月、詳しくあなたの事を調べました。一ヶ月前のあなたは自分から話してはくれなさそうだったので」

「はぁ?」

 いきなり予想していなかった言葉が女子高生の口から飛び出してきて、私は驚く。この女子高生は無意識に人を驚かすのが得意らしい。

「一ヶ月前からあなたに一層興味が湧いたのであなたのことを調べたんです」

 一年前にあんなことがあったのだ。その前にもいろいろな悲劇があった。私の人生は普通ではないと自分でも理解している。普通とはかけ離れている私の生い立ちを調べるのはさほど難しいことではないのかもしれない。四葉の人間でなくとも、ここらに住んでいる人間であれば私の素性を知っている人も少なくないはずだ。それにしても――。

「えらく単刀直入ですね。なんで勝手にそんなことをしているんですか。迷惑ですし、不快です」

「大変でしたね」

「あなたに言われるまでもなく、自分でも自分を可哀想だと思っています」

「大変だとは思いますが、別に私はあなたの事を可哀想だとは一言もいってませんよ?」

「――は?」

「あなたの事を可哀想だとは思っていませんと言ったんです」

 至近距離で話しているのだ、もちろん聞き取れなかったわけではない。彼女に弁解の余地を与えるために訊き返したのだ。しかし、彼女は何を思ってか、はたまた何も考えていないのか、私に向かって《可哀想ではない》と言い放った。

「あなた、何を言っているんですか?」

 私は頭の整理が追い付かず、時間稼ぎのためにもう一度ちゃんとした言葉で訊き返す。

「あなたのことを可哀想だとは思っていません」

 当然のように同じ返答が返ってくる。この一年、私の事を可哀想だ、不憫だという者は沢山いたが、逆の事を言った者は一人もいなかった。

「不愉快過ぎるんですけど。一体あなたは私の何を調べたんですか?」

「端的に言いますと、あなたの母親が家から出ていったことにより、父親から暴力を受け、四葉児童ハウスに保護され、そののちに元母親から兄を――」

「もういいです」

 私は彼女の言葉を最後まで聞くことなく遮った。私の人生は端的に説明されるべきものではないし、一ヶ月調べただけで全てを理解できるようなものではないけれど、その端的な説明は間違いなく的を射ていた。

「それだけ調べていてよくそんな言葉が出てきますね。自分で言うのもなんですけど、私の人生は自分でも悲劇そのものだと思っていますけど」

「嬉しい、楽しい、悲しい、寂しい。恨めしい。そういった感情が備わっているではないですか。悲劇を悲劇と感じられるのはいいことだと思います」

 後頭部の奥の方が痛む。成立しているようでしていないような会話がもどかしい。進学校の制服を着ている彼女の素性を疑いたくなる。

「私の事を憐れむつもりがないのは分かりました。別に私だって同情してほしいわけではありませんし、それはそれでいいです。でも見えてきません。つまりあなたは何が言いたいんですか?」

「私の実験に協力して頂きたいんです」

 後頭部の鈍痛が余計に酷くなる。結論を聞いた結果、余計に分からなくなってしまった。会話の順序を間違えたのだろうか。

「悪いようにはしません」

「その言葉、危ない人の常套句(じょうとうく)ですよ」

「私が危なく見えますか?」

「危ないというか、普通の女子高生には見えません」

 彼女はしばし考え込む。しかし、何かを考えているとか、次の言葉に困っているというよりも、停止しているといった表現の方が正しいくらいに表情は全くと言っていいほど変わらない。

「それは……そうなのかもしれません」

 停止状態が解除されると彼女はぽつりとそう言った。ぼそりではなく、ぽつりと。

「自分で普通ではないと認めているんですか?」

 自分で人とは違うということを自覚しているのと、自覚していないのでは雲泥の差がある。

「自分が普通ではないという自覚はありません。そもそも人間に対する普通という言葉の概念が私にはよくわかりません。ですが、私の通っている高校で、私が『浮いている』存在だとカテゴライズされているということを小耳に挟んだことがあります。それに、あなたにもたった今、普通の女子高生には見えないと言われました。ですから、私は普通ではないないのかもしれないです」

 女子高生は淡々と自己分析した結果を述べる。普通の女子高生が言いそうもない言葉を並べ、しかもこんなにも表情が乏しい。『浮いている』と周りに言われてしまうのも仕方のないように思う。私も表情が豊かな方ではではないし、学校ではいろいろと事情があるために『浮いている』ところもある。むしろ、彼女に近いところが多いような気さえするけれど、それでもこの女子高生ほどではないだろう。私の場合、その原因の多くは外部環境に問題ある。しかし、彼女の場合は彼女自身に問題がある。例として、彼女の言葉はいちいち癇に障る。少なくともこの容姿でこの性格では、彼女の事を良く思っていない同性も多いだろうとは容易に推測できる。

「面倒くさい性格してますね。まぁ私も大概ですが」

「ですが、私とあなたではその『面倒くさい』のベクトルが違うと思うんです」

「まぁそうですけど、面倒くさいのには変わりないですよ」

「いえ、私にとってはそれが重要なんです。あなたの『面倒くさい』の根源となるところを知りたいんです」

 またよくわからないことを言い出した。さっきから頭痛は酷くなる一方だ。

「それがあなたの言う実験と関係があるんですか?」

「はい、大いに関係あります」

「実験の目的は何ですか? 何をして、どのような結果を求めているんですか?」

「実験に協力してくれるのですか?」

「いきなり話をすっ飛ばさないでください。話を聞くだけです。頭が痛いのでできるだけ簡潔にお願いします」

「風邪ですか?」

 あんたのせいだ。

「……大丈夫ですから話してください」

「そうですか。では――」

 女子高生は変わらない表情のまま、『実験』の目的について説明を始める。

「簡潔にということなので最初に目的を言わせてもらいますと、私の目的は『感情の取得』というものになります」

「感情の、取得?」

 簡潔ではあるが、突拍子のない目的が出てきて私は早くも混乱する。『感情の取得』。分かるようで全く分からない。

「ご存じの通り、私には感情の起伏というものがありません」

「全然ご存じじゃありませんけど……」

「では、私には表情というものが備わっていないことはご存知ですか?」

「まぁ、それは見ていればなんとなく」

 橋で女子高生を見ていた時も、こうして話すようになってからも、未だに彼女の表情が無表情から変わったところを見たことがない。故に彼女が何を考えているのかが見えてこない。当たり前だが、表情というのは感情をよく表す。もちろん個人差はあるだろう。母だった人が出ていったときから理不尽に激昂するようになった父だった人は、感情が表情に如実に表れていた。対して兄だった人は、四葉に来てから表情が希薄になったが、それでも彼女ほどではなかった。

「それは私に感情がない、もしくはないに等しいほどに乏しいからなんです。喜ぶべきなのだろうと思っていても、上手く喜ぶことができません。嬉しいと感じられないんです。逆も同じで悲しむべきなのだろうと思っていても、上手く悲しむことができません。そう感じているよう装うことすら私はままなりません。証拠を見せろと言われてしまえば、あなたの確信を与えられるに至るまでの実証を今この場でするのは難しいですが」

 感情がない。それはどんな感覚なのだろうか。やっぱり想像できない。感情が備わっていない人間なんているのだろうか。にわかに信じがたい。そもそも、私は人を心から信じることなんてもう出来ないだろう。でもこの場合、話を前に進めるには信じることにするしかない。この女子高生に出会ってからというもの、考えても分からないことばかりだ。

「ですが、一つだけなんとなく分かる感情があります」

 女子大生は補足する。

「どんな感情なんですか?」

「『苦しい』という感情です。これも場合によりけりなのですが、おそらくこれが『苦しい』という感情なのだろうと思うことが稀にあります。ですが、そう感じていても表情を作ることまでは難しいです。表情に出る前に、私の抱いているものは本当に『苦しい』という感情なのか疑ってしまうからです」

「じゃあ、今のあなたは何かに苦しんでいるんですか? 一体何に『苦しい』と感じるんですか?」

 私は話がまたおかしな方向に進んでしまわないよう、話に沿って質問を重ねる。

「感情がないことが苦しいです」

 私の勘違いだろうか。女子高生の表情はやはり変わらない。でも、声色が微かに憂いを帯びたような気がした。

「だから感情が欲しいと」

 女子高生は小さく頷く。

「でも、私に何をしろっていうんですか?」

「私と『シンクロ』してほしいのです。『共鳴』とも言うのでしょうか。機械的な言い方をすればお互いがお互いを『同期』するといった言い方でもいいかもしれません」

 彼女と話を始めてから頭痛は治まること知らなかったが、さらなる追い打ちで私は遂に頭を抱えざるを得なくなった。

「ごめんなさい。やっぱり分かんないです」

「でしょうね。ですから、まとめてきました」

 彼女は自分の鞄を開き、ファイルからクリップで止められた数枚のA4紙を取り出し、私に差し出した。

「きっと読んでも分からないと思いますよ」

 そう言いながらも紙を受け取る。紙にはびっしりと明朝体の文字が羅列されており、少し見ただけでも私に理解できるものではないと判断できた。

「問題ないです。これを読めば、あなたは間違いなくこの実験に参加したくなるはずですから」

「根拠のない自信ですね」

「根拠はあります。そういうふうに作成しましたので」

 表情がないために分かり辛いが、自信があるということだろうか。

「そんなこと言われたら、私、読まないかもしれませんよ?」

「あなたは気になったら読まずにはいられないでしょう? たとえそれで自分がさらに苦しくなるという不安があっても一縷の希望に縋ってしまう、といった感じでしょうか。あなたはそんな性格だと私は思っています」

 これは自信から来る挑発だろうか。
 それに――
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