眠りの森のシンデレラ
第 十章 幻の恋人

だが、登麻里の妄想は杞憂に終わる。

当然だと言えば当然だが、則武は桔梗の部屋には一歩も入れてもらえなかった。その日から毎日、則武は眠りの森を訪ねるが、冷戦状態は一向に回避されない。

「恋って複雑なものなのですね」

今月も琶子は清から呼び出され、榊原邸を訪問していた。
次第に、琶子はそれが……というよりも、図書室での時間が楽しみとなっていた。

「何が言いたい?」

清は本を読む目を休め、怪訝な表情で琶子を見る。

「私の小説は絵に描いた餅です。リアルの欠片もない、と今回の件で思い知らされました」

「則武と桔梗の話か。あんなの、あちこちでゴロゴロしているぞ」

「だからです! 妄想恋愛しか知らない書き手が『経験豊富な読み手を満足させる極甘恋!』そんな小説など書ける筈がありません」

先日、未だ見ぬ担当編集者、相川から打診された次回作案が、まさにそれだった。

それ故、琶子はスランプだった。

「お前、落ち込んでいるのか? 書くのが仕事だろ、なら、書かざる得ないだろ」

「簡単に言いますね! しょせん妄想は妄想でしかないのです。妄想もできなくなったら終わりなんです」

妄想? この付き合いも妄想というのか? 清は項垂れる琶子にムッとする。

だが……出来の悪い子ほど可愛いというが……簡単に落ちぬ相手が、ド天然バカなら、尚、征服しがいがあるというものだ、と清はニンマリ思い直す。

意気消沈した琶子はハーッと大きく溜息を付き、いつものカウチソファーの上で膝を立て、足を両腕で抱え、グッタリと顔を埋める。

「何だ、今度はイジけ虫か」

少し離れたパーソナルチェアから、清は琶子の方を見つめる。

お団子頭で体育座り、まるで子供だ……と思いながらも、清は真っ白なうなじと細い首筋から流れる肩のラインに目が釘付けになる。

ゴクリと唾を飲み、クソッ、これでは子供に欲情するロリコン変態だ! と自分に罵声を浴びせ、悩まし気な思いを払拭するように、わざと冷静な声で言う。

「お前は別にノンフィクション作家を目指しているわけではないのだろ。読者もお前の書くものにリアルなど求めていない。リアリティーな物語を求めているのではないのか。違うか?」

どうだ? と清が視線で訊ねる。

リアル=現実、リアリティー=現実っぽい、嗚呼、なるほど、と琶子は顔を上げる。

「それに、則武が言っていたぞ、お前の小説は、夢と、希望と、明るい未来を読者に与えると」

『世界の中心は愛』風子の言った言葉に『夢』『希望』『明るい未来』などのエッセンスを加え、ワクワクやドキドキが物語に生まれればいいな、と琶子は常々思っていた。

だから、今の言葉は嬉しい、と素直に喜ぶが、その直後、清は「俺は読んだことがないけどな」と落とし穴に突き落とすような軽口を叩く。

これには琶子も珍しく、読んだことないのか! と乱暴な突っ込みを入れそうになった。

< 152 / 282 >

この作品をシェア

pagetop