何度でもあなたをつかまえる
さて、と。


決心すると、雅人の行動は早い。

日本語の通じる日本の旅行社に電話をかけて、帰りの飛行機を探してもらった。

早ければ早い方がいい、と申し添えて。



「かほり~。東出さん、アンナと温泉行ったよ。かほりによろしくって。」

しばらくしてから、ココアを入れて、かほりの部屋を訪ねた。


「……お見送りできず、失礼してしまったわ。」

かほりは、ベッドで膝を抱えてしょんぼりしていた。


「いや、いいんじゃない?意外とおもしろいヒトだったね。はい、これ。東出さんのドイツの住所と番号。」

ココアをかほりに持たせて、メモは机の上に置いた。


「……雅人も、もう、行くの?」

かほりは無表情だった。


雅人の胸がちくりと痛んだ。


……たぶん、かほりの胸の痛みはこんなもんじゃないだろう。

それがわかるだけに、雅人は、適当にごまかすことができなかった。


「飛行機ね、いっぱいなんだって。時期的に。……キャンセル待ちでも、明後日ぐらいじゃないかって。」

「明後日……。」


そんなに早く……。

心の整理ができない。


かほりはココアのマグカップを持ったまま、さめざめと泣き出した。


……ダメだ。

見てられない。


「じゃあ、俺、荷造りがあるから。」

そそくさと出て行こうとする雅人に、かほりは慌てて言った。

「ミュゼット!持って行って!……あんなの、雅人しか演奏しないから。……IDEA(イデア)で使えるんじゃない?」


雅人は足を止めた。

けれど、とても振り返ることはできなかった。


「わかった。ありがと。……もらったよ。」


ミュゼットだけじゃない。

かほりが、俺にIDEAでがんばれって、背中を押してくれてる。

その気持ちも、一緒に、もらったんだ……。


雅人の目頭も熱くなっていた。


そっとドアを閉めた。

完全防音のはずなのに、かほりの嗚咽が聞こえてきて、耳から離れてくれない。


そばに居てやりたいけど、ダメだ……。


今、かほりの涙を見たら、心に迷いが生じてしまう。

とりあえず、時間をおいて、お互いに落ち着いてから、もう一度ゆっくりとかほりと過ごそう。

言葉でも、音楽でもいい。

抱き合うだけでもいいかもしれない。

淋しさで凝り固まってしまったわだかまりを溶かして、笑顔で別れたい。


つらい時に、かほりの笑顔を思い出せるように。

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