初恋
第五十三話 終末期医療

 意識を取り戻すと啓介の声が聞こえてくる。
(俺、生きてるのか……)
「そこにいるのは、啓介か?」
 修吾の声に啓介は大声をあげる。
「うわぁー! 先輩! 先輩が目を覚ました! おい竜、早く医者呼んでこい!」
 啓介の話から近くに竜也もいるようだ。
「先輩! 大丈夫っすか!?」
(顔に包帯を巻かれているのか? 何も見えんな)
 修吾はベッドから起き上がろうとするが、両腕が折れているのか全く動けず諦める。
「ま、生きてるのは確かだな。つーか、おまえらは怪我ないのか?」
「当たり前じゃないっすか、俺たちは自宅にいたから平気っす。だけど、坂崎主任が……」
「亡くなったのか?」
「はい」
(爆発前に意識は無かったし、あの爆風じゃ当然か。しかし、主任の奥さんにはなんて言えばいい。子供生まれたばっかりだぞ。なんで俺なんかが生き残っちまったんだ……)
 坂崎の無念さを想像しながら修吾は訊ねる。
「俺は何日寝てた?」
「二日っす。今日が山だって医者が言ってましたから、安心しましたよ」
「そうか……」
 修吾が考え込んでいるところへ、竜也が飛び込んでくる。
「連れてきました!」
 医者の診察と問答で命に別状はないと判断されたが二つほど問題はあった。一つは爆風により全盲になったこと。もう一つは末期の肺ガンでニ年も持たないということ。
 修吾本人よりも、傍で聞いていた啓介と竜が号泣し、その声を聞けただけでもこの土地へやってきて良かったと初めて思える――――

――二ヶ月後、骨折が完治するとまず坂崎家へ向かい、遺族に自分の知り得る限りの顛末を語った。目の見えない修吾だが、すぐ隣の部屋で泣き止まない赤ん坊の声が聞こえてきたときは我慢出来ず泣いてしまう。
 責められる覚悟で臨んだ坂崎家への弔問だったが、最後には優しい言葉を掛けて貰いやはり涙ぐむ。自分が生き残ってしまったことの悔しさ、坂崎を助けられなかった悔しさ、残された遺族の気持ち、そんな遺族から受けた優しさ、普段滅多に涙を見せない修吾でも、堪えられる限界を超えていた。
 坂崎家への弔問を終えると、修吾はその足で依頼しておいた弁護士を同伴し、啓介と共に建設会社の本社に向かう。労災認定と機器の管理不備による業務上過失致死を盾にして、坂崎家が一生困らないくらいの賠償金を請求しようと考えての行動だ。
 最初は取り繕うばかりだった本社の重役も、数年前に起こった事故の件もあり、今回は双方穏便に事を収めるという方向で話がつく。賠償金も無事支払われ、自分のやるべきことを全て終えたと感じた修吾は、自身の終末期医療について考える。通常の終末期医療と違い、目が見えないという点も鑑み、受け入れてくれる施設を調査してもらうことにした。
 啓介はパソコンに詳しく、この手の調査はお手の物で、自然に囲まれた伊豆のホスピスを奨めてくる。目の見えない修吾には価格や施設内の設備名くらいしか判断材料がないが、啓介が良いというならばそれを信じることにした。
 二週間後、三年分の医療費等を先払いし多少の遊興費を残し、残りの数千万は坂崎家に全て振り込む。施設までの見送りにと付き添う啓介と竜也は、終始ずっと涙ぐんでいた。修吾からここにはもう来るな、と言われたのもショックだったに違いない。
「俺はここで死ぬのを待つだけだからな。お見舞いなんておかしいだろ?」
 何も言い返せない二人を感じ、修吾は最後に感謝の言葉を述べる。
「こんな俺のために泣いてくれてありがとうな。今生の別れだ。本当に今までありがとう」
「修吾先輩……、今までお世話になりました」
 二人は同時に頭を下げ、施設を後にする。残された修吾はどこか清々しい気分でいた――――


――一年後、春ということもあり、施設の人事にも多少の移り変わりが見られる。ただし、全盲の修吾にとっては担当の声が変わるだけでどうでもいいイベントにしか感じない。この一年間、修吾はただ毎日毎日施設内の中庭で、風を感じ花を香り、テレビを聴いたりしていた。
 半年前に階段から転び左足に麻痺が残る重傷を負ったが、遠出をするわけでもない現状ではどうでも良いことだ。そして、目が見えないので他の患者も修吾とあまり関わろうとしない。なにより修吾よりずっと重篤な癌患者が多く、家族や看護婦に看取られ逝く人の方が多い。
 定時に来る回診で婦長が新しくなったと聞くが、当然のごとく興味がない。車椅子で花満開の道を一人走らせるていると、背後から呼び止める声がする。
「こんにちは、はじめまして、新しく婦長として赴任してきた、井上薫と申します。宜しくね、加藤修吾さん」
 丁寧な挨拶を受けて修吾も挨拶する。
「はじめまして、加藤です。お世話になります」
「いえいえ、こちらこそ。少し散歩しましょうか」
 修吾の同意も聞くまでもなく、薫は車椅子を後ろから押す。声の感じから薫は四十から五十歳くらいだと修吾は察する。しばらくすると薫から話し掛けてくる。
「加藤さんの本籍地、神奈川県藤沢市ってなってますけど、もしかして浜松小学校に通ってませんでしたか?」
 カルテを見て話し掛けているのは推察出来るが、小学一年生までしか居なかった学校名までは書いた記憶も教えた記憶もない。
「な、なんで知ってるんですか?」
「あら、当たった? じゃあ、白井深雪さんは覚えてるかしら?」
 久しぶりに聞く深雪の名前に修吾はドキッとする。
「えっ、ええ覚えてますけど、婦長さんって一体?」
 訝しがる修吾に、薫は車椅子を押しながら深雪との関係を長々と語る。
「まさかあの泣き虫しゅう君が加藤さんだったなんて、すごく巡り合わせを感じるわ」
「いやぁ、お恥ずかしい。婦長さんが私の幼少を知る方だったとは……」
「あっ、私の方こそ泣き虫だなんて失礼しました。話によく聞いていただけで、実際にお会いするのは二回目なのに」
「深雪さん、そんなに私のことを話してましたか?」
「ええ、いつもしゅう君しゅう君ってうるさいくらい」
「ははっ」
 深雪を知る人物と知り、修吾もいつになく元気になる。
「私、深雪は加藤さんと一緒になると思ってましたよ。それくらい加藤さんのこといつも気にかけてましたし。だから深雪が他の人と結婚すると聞いたとき意外でした。あ、これは言っちゃマズかったかしら?」
「いえ、よく知ってますから大丈夫ですよ。それにもうずっと昔の話ですから」
「ごめんなさい。そうね、もう二十年以上も前の話だもの、加藤さんも違う道を歩いてましたわよね」
「ええ……」
 薫の言葉に心の奥がチクッとする。
「まあ、私ごとき者が深雪の代わりになんてことは出来ないとは思いますが、誠心誠意対応させて頂きますね」
 深雪の代わりという言葉に修吾はふと疑問が浮かぶ。
「婦長さん、一つ聞いていいですか?」
「どうぞ」
「深雪さんと同じくらい美人ですか?」
 しばらく沈黙した後、薫は答える。
「もっのすっっっごく美人よ! 深雪も裸足で逃げ出すわ」
 その言い方と回答に修吾は噴き出して笑った。

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