初恋
最終話 残して行った想い(沙織編)

 二ヵ月後、訪問を報すチャイムで沙織は目を覚ます。昼食を済ました後、こたつでそのまま眠っていたようだ。
「あ、いつの間にかうたた寝してた。まずい……」
 こたつ机に俯せになっていたせいか、おでこが赤い。スリッパをパタパタさせながら急いでドアホンに出る。
「お待たせしました。どちらさまでしょうか?」
「谷口です」
「ギャ」
「ギャとは失礼ね。居るなら早く開けて」
「は~い」
 ドアホンを切ると気の乗らない面持ちで玄関に向かう。
「あの人どうも苦手なのよね~」
 ぶつぶつ言いながら沙織は鍵を外す。
「お邪魔します」
「お邪魔して下さい」
「半年以上、留守だったけど何かあったの?」
 靴を脱ぎながら、開口一番当然の質問が来る。
「話が長くなるのでリビングで」
「分かった。深雪さんに挨拶してからリビングに行くわ」
「あっ……」
「何?」
「あの、仏壇に、その……」
「仏壇がどうかした?」
「修吾の位牌もあるんで、修吾にも挨拶しといて下さい」
 衝撃的な一言に直美は青ざめて一瞬言葉を失う。
「嘘、でしょ……」
「修吾、末期の肺癌で入院してたんです。この半年私が付きっきりで支えました。そして最期は笑顔で逝きました」
 沙織のセリフに言葉なく震えている。
「詳しい話は後でします。とりあえず位牌に向かって文句でも言っといて下さい」
「分かった……」
 おぼつかない足取りで直美は仏間に向かう。
(当然の反応だよね。一時は愛した人だったんだから)
 溜め息を吐き沙織はキッチンに向かう。修吾を看取ってから二ヶ月以上経つが、気持ちを切り替えられない部分はある。
 しかし、どうしても前に進まなければないことも同時に理解している。だからこそ修吾と暮らした地を引き払い東京に帰ってきたのだ。
 お茶を準備してリビングで待つことニ十分、真っ赤に目を腫らした直美が現れる。
「ごめんなさい。待たせちゃったわね」
「いえ」
「いろいろ聞きたいんだけど、一番気になっていることを聞いていいかしら?」
「どうぞ」
「そのお腹、食べ過ぎ?」
 少し膨らんだ沙織のお腹を見て直美は突っ込む。
「分かってて聞いてますよねそれ? 妊娠ですよ」
「相手はやっぱり……」
 沙織は笑顔で頷く。
「残して行ったのね。修吾」
「はい、一人じゃないです」
「なんかそれ聞いて救われた。深雪さんを失って、次いで修吾まで失って、大事な人がどんどん私の前から消えていってたから。妊娠のこと、修吾も大喜びだったでしょ?」
「それが、その……」
 沙織は病院での出会いから一緒になるまでの経緯、そして東京に帰るまでの顛末を細かに説明する。当然ながら修吾は沙織の妊娠を知る前に去っていた。
「嘘をついて暮らした私のこと、軽蔑しますか?」
「するわけないじゃない。婦長さんと同意見。あなたの行為は最善で、最大の愛情表現だと思う。ビデオメッセージで修吾自身が感謝してるんだから胸張っていい」
 直美の意見に沙織もホッとする。修吾に知られていたとはいえ、騙していたのは事実なので、実直な直美には否定されるのではと内心ビクビクしていたのだ。
 妊婦と知った直美はこれからの段取りや注意点、アドバイス等を先輩として講釈する。沙織も不安に感じていた部分があり、直美のアドバイスは正直勉強になり嬉しくもなる。もし深雪が生きていたなら、今の直美のように心配しアドバイスくれたのだろうと想像する。そう考えると、直美が母親のように思えて少し照れてしまう。
 マタニティートークや旦那の愚痴をマシンガンのごとく話し切ると、直美は席を立ち帰り支度を始めた。見送りは良いと言われるが沙織は玄関まで着いて来る。直美は沙織に向き合うと、真面目な顔で話し掛ける。
「最後にもう一度、本当にありがとうね。修吾の傍にいてくれて。修吾は本当に幸せだったと思うよ」
「いえ、私の方こそ凄く感謝しています。直美さんに後押しされなかったら修吾に会えなかったし、何よりこの子を授かることもなかった。ありがとうございます」
 沙織からの礼に、直美は照れ笑いする。
「まあ、これからいろいろ大変だろうけど、何かあったらすぐ連絡してよ。所沢からすっ飛んでくるから」
「ありがとうございます。でも、何で私の為にそこまでしてくれるんですか? 前回の件も含めてお世話になりっぱなしだし……」
 直美の心遣いに沙織は常々感じていた疑問を投げ掛ける。
「そんなの単純よ。深雪さんに貰った恩をあなたに返してるだけ。深雪さんには生前何もしてあげられなかったし。それに……、修吾の子供、見たいからね」
 満面に笑みで直美は応え、その笑顔に沙織も嬉しくなる。
「なんか……、小姑みたいですね」
「それを言うなら初孫を待ち望むお婆ちゃんでしょ? っていうかどちらにせよムカつくんだけど」
「あはは」
「ご要望にお応えして、これからビシバシ鍛えてあげるから覚悟なさいよ」
「やっぱ小姑だ」
 来訪時の涙と違い笑顔で手を振りながら去って行く直美を沙織も笑顔で見送る。亡くなり去って行く人もいて、そんな中からまた新たな出会いや誕生がある。深雪や修吾の残して行った想いと愛を心で実感しながら、沙織はいつまでも直美の背中を見送っていた。


< 63 / 64 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop