オカルト研究会と龍の道
第1章 始まりは嵐のように

第1幕

 ノックもなしに扉が開いた。 
 
 優馬が視線向けると、一人の女子生徒が立っていた。
 
 整った顔立ちと長い黒髪とが、真っ先に優馬の目に飛び込んできた。
 
 とんでもない美少女だということが、数メートルの距離を置いてもよく分かった。
 
 にもかかわらず、優馬は心が浮き立つどころか困惑していた。
 
 女子生徒は、肩で息をしながら鬼気迫るほどの表情で優馬を睨み付けていた。
 
 優馬は目を瞬いた。
 
 何人か頭に浮かんだものの、どの顔にも当てはまらない。
 
 知らない相手だった。
 
 分かるのは、どうやらこの学校の生徒らしい、ということだけ。
 
 当然、恨まれなければいけない理由も心当たりも浮かばなかった。
 
 対照的に、女子生徒は待つということをしなかった。辺りの様子をうかがいながら素早く部室へ踏み込み、慎重に扉を閉めた。それから一呼吸入れると、くるり踵を返し優馬に向けて一気に詰め寄ってきた。
 
 そのあいだ、優馬は椅子に座ったまま身動きの一つも取れずにいた。女子生徒が自分に向かって近づいてくるのを、どこか他人事のように眺めていた。

「ねえあんた。ちょっとだけかくまって欲しいんだけど」

「……はい?」

 上から覆いかぶさるように迫る女子生徒に、優馬は辛うじて返事をするのがやっとだった。どこの誰かも分からない相手がいきなり部室に入って来てかくまってくれ、と来ては訳が分からない。
 
 かと言って、無下に追い払ってしまうこともできなかった。臆病な上にお人よしな優馬にとっては無理な話だった。
 
 そんなわけで、優馬は突然の闖入者をまじまじと見上げた。
 
 長い黒髪は、ざっと腰のあたりまであるだろうか。前かがみになった背中から二の腕あたりにかけて滑り落ち、女子生徒の体を覆うように広がっている。
 
 真っ直ぐな眉は十時十分を指す時計の針のような凛々しさで、元から大きいだろう黒目がちな目がさらに大きく見開かれ優馬の目を捉えて離さない。思わず吸い込まれそうなほど澄んだ瞳は、ぽかんと口を開けたままの間抜けな顔を映している。
 
 女子生徒の頬は、ここまで走ってきたことを裏付けるように熱を帯び茜色に染まっていた。熟した桃を思わせるその色形は、手を伸ばせばどうなるか分からない。まさに触れることすら許されぬ禁断の果実そのものだった。
 
 うるうると滑らかに艶めく上下の膨らみはむっつり閉じられて見事なへの字に曲がり、桜の花びらを散らせたかのような薄紅色の唇は残念ながらその原型をとどめていない。
 
 女子生徒は美人とか美少女とか、そういった言葉がよく似合う顔だちをしていた。

 優馬の目から見ても、校内でも指折りであることは容易に想像できた。こんな子が窓際の席あたりから物憂げに校庭を見つめていれば、さぞかし絵になるに違いない。

 などと思う一方で違和感を抱かずにはいられなかった。廃部寸前の零細研究会にこんな子が来る理由など、あるわけがなかった。
 
 その上、部室の怪しげな雰囲気にすこぶる似合わないフローラルな香りが優馬の鼻を甘くくすぐるのだ。もちろん、女子生徒の体から立ち上ってくるものであることはいうまでもない。

 呼吸を繰り返すたび鼻腔に広がる何とも言えない感覚に、優馬の鼓動はひとりでに高鳴ってしまう。優馬は完全に舞い上がり、冷静さを失ってしまっていた。
 
 一方の女子生徒は、額ににじむ汗を鬱陶しげに顔から拭いとった。ふと見れば、心ここにあらずの体で優馬が下敷きを扇いでいる。

「それ使わせて」

「え? あっ!」
 
 言うが早いか、ぺろんぺろんと揺れていた赤色の下敷きをあっという間の早業で奪い取って長机の上に腰かけると、「あー、こりゃいいわー」と、さも気持ちよさげに目を細めた。

「……返してよ」
 
 優馬が伏し目がちに手を伸ばしたところで、女子生徒は優馬のおぼつかない手を軽やかにかわし、相変わらず涼しげに下敷きを扇ぎ続けている。

「いいじゃない。どうせずっとここに座ってたんでしょ? こっちはあちこち走り回ってくたくたなんだからちょっとくらい使わせてよ。っていうか、変なとこ触ったら許さないから」

「あ、はい」

 ややドスの利いた声に、何の気なしにぺたぺた触れていた花瓶が実は超高級品でした、みたいな動きで手を引っ込める。

 ──何も悪いことなんてしてないじゃないか!

 などといくら思ったところでもはや敗色濃厚、両者の力関係は決定的だった。優馬は釈然としないものを感じながらも、これ以上言うのは不毛な気がした。下敷きのことはあきらめつつ、女子生徒のリラックスしきった横顔を改めて眺めた。

 こういう時視線が合わないのは楽だな、と優馬は思う。特にこの女子生徒のような相手は。優馬は自分の小心が呪わしかった。臆せずに真っ直ぐな視線を向けられれば、仮に真正面から視線が返ってきたとしてもそこから目を逸らさずにいられれば。自分ももう少し何かを変えられるんじゃないか、と。
 
 教室ではクラスメイトに溶け込めず寝るだけ、外に出れば俯いてばかり。そんな優馬が女子生徒のことを知らないとしても無理はない。が、驚きの理由はそこではない。
一生縁がないどころか、視線を向けられることもない。そう思っていた類の相手が手を伸ばせばすぐ届く距離にいるだけでなく、自分に向かって語りかけてきているのだ。

 ──これは現実か? 夢じゃないのか? 

 頬をつねってみる。確かに痛いから、どうやら夢ではないらしい。けれども一番の疑問は何も解決していない。
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