キャラメルと月のクラゲ
金曜日から雨は降り続き、4日目の月曜日。
午前の講義と食事を終えた私は栄川先生に頼まれた症例に関する論文や記事を図書館の共用パソコンで調べていた。
入り口の休憩スペースからセキュリティーゲートと司書のいるカウンターの前にあるパソコンブースは何の仕切りもなくどことなく落ち着かない。
自分のパソコンを持ってくればよかった。
一世代か二世代前のパソコンはハードディスクから少し嫌な音が聞こえる。
集中が途切れた頃、入り口の形だけのセキュリティーゲートを不正に通り抜けた二人がいた。
司書はカウンターの業務に追われていて気が付いていないようだった。
懐かしい二人組だった。
「ちょっとそこの二人、待ちなさい」
私は近くを通り抜けようとした二人に声をかける。
「あ! カニクリ!」
1年前に大学を辞めた水窪シズクが叫んだ。
「シズク、図書館ではお静かに」
「はーい。相変わらず優等生キャラだよね」
彼女が入学から2ヶ月で辞めてしまうまで、ずっと二人が一緒にいるのを眺めていた。
「椋木くん、部外者を入れるのはルール違反よ」
私は彼だけに聞こえるよう小声で言った。
「頼むよ、カニクリ。今日だけ。シズクが見たい本あるからって」
「それに午後は男子みんなで栄川先生のお手伝いでしょ?」
「そうなんだよカニクリ。だからシズクのこと頼めないか?」
「え?」
「シズクが見たい本を見終わって、ゲート通る時だけでいいから」
「お願い、カニクリ」
上目遣いでシズクが私を見ていた。
身長もさほどかわらないシズクと私はそれほど仲よくはなかった。
「わかった。パソコンで調べ物してるから帰る時は呼んで」
「さすがカニクリ。ありがと」
「悪いな。それじゃあ、行ってくるよ」
と彼はシズクと私を残して去っていった。
「いってらっしゃい」
彼の後ろ姿を見送ると、
「じゃあ本探してくるよ」
シズクは私から離れていった。
それから10分ほどしてシズクは本を何冊か抱えて戻ってくると私の隣のイスに座り本を読み始めた。
服装は前よりもオシャレになったがナチュラルメイクでボブになったシズクはやはりシズクだった。
「シズク、変わったね」
「そう? まあ1年前よりは服もメイクも気を遣ってるからね」
「メイクは変わらなくない?」
「ん? これは、朋弥の好きな顔だから」
シズクの視線は本から離れない。
「カニクリは変わんないね。マジメで、オシャレ。今日の服もかわいいよ」
さらっとヒトを褒めるのがシズクは上手かった。
「カニクリさ、心理学ってほんとうにやりたかったの?」
シズクとの思い出はほとんどない。
「何よ。急に」
彼女が大学にいた2ヶ月間はほぼ彼とべったりで、今日みたいに彼に用事があっていない時にこうやって視線も噛《か》み合わず話も噛み合わない会話をするだけだった。
「カニクリだったらもっと上のランクの大学に行けたんだろうなって前から思ってた」
ただ、一つだけ今もはっきりと覚えていることがある。
「自分みたいにってこと? 大学を2ヶ月でドロップアウトするヒトとは一緒にされたくない」
少し向きになって私は言ってしまった。
「アハハ、相変わらずキツいね。でも、私は後悔してないし、諦めたとかじゃないよ。ほんとうにやりたいことを見付けただけ」
それなのに彼女は笑って私に言った。
「ねえ、朋弥のこと好きなんでしょ?」
「さあ? 仮に好きだとしても元カノの顔が浮かぶような恋愛なんてイヤよ」
「それってほんとうに好きってことじゃない?」
「やめてよ。そうやって私のことを分析するのは」
「これはアナタがよくやってたことじゃない。それで私も気付かされたんだから。朋弥が好きじゃないって」
あの時、私がシズクは彼のことを好きじゃないと言わなければ、二人は今もこの大学で一緒に講義を受けていたのかもしれない。
「何を好きになって、何を嫌いになったんだろうね。わかんないや」
けれど私は、そのことを言わずにはいられなかった。
「私、シズクのこと、今もキライ」
椋木くんと仲よくしているのを見てうらやましいと思っていた。
まるで、昔に好きだったヒトとその恋人を見てるみたいで、嫌だった。
「わかってる。でも、私はカニクリのこと好きだし、友達だと思ってるよ」
「………ありがとう。———シズク、やっぱり変わったね」
「どんなふうに?」
「オトナになった」
「へえー。カニクリに言われたらうれしいな」
笑顔のままシズクは、
「ねえ、さっきからあの子、こっち見てるんだけど知り合い?」
と近くのパソコンの席からこちらを見ている女の子を指差した。
「あ、鹿山さん」
キャラメル色の髪の毛が会釈とともに揺れる。
「あ………どうも」
「誰?」
「デザ学のヒト。椋木くんと同じバイトなんだって」
「ショップのヒト? へぇー、アイツ真面目でしょ?」
鹿山さんはその席から動かずに顔が半分隠れた。
「そうですね」
私と一緒で少しご機嫌斜めのようだ。
「今度お店にブライン買いに行くからよろしくね」
「ブラインって何でしたっけ?」
「ブラインシュリンプ。クラゲの餌。知ってるくせに」
「そうですね」
「カニクリ、そろそろ行こっか。それとお願い。この本、カニクリの名前で借りて?」
「………返却は一週間後です」
「カニクリ、ありがと。今度ランチおごってあげる」
「期待してない」
私が冷たく返すとシズクは笑った。

***

< 15 / 49 >

この作品をシェア

pagetop