あなたの愛とパンチュールに囲まれて
2、拾う神現る

窓の外はとても良い天気なのに、なんだか目覚めが悪くて気だるい朝だ。
部屋のカーテンを開けると朝日が部屋全体に差し込み、
眠りから醒めたばかりの私の目に飛び込んで痛いほどまぶしい。
会社に行きたくないと思っているからか、
それともあまりに夢見が悪かったからか。
今朝もどんよりした心持で家を出ていつもの電車に乗る。

それでも……
こうやって電車の中で愛しの彼の姿を見かけ、
さりげなく横に並んでいると、自然と会社へと体は動いてしまう。
駅から出るとスマホとバックを持ったビジネスマンの行列に加わり、
私はスーツ姿の彼の背中を見つめながら、
歩調を合わせて後ろについて会社まで向かった。
恋の力というのは通常なら不可能なことでも、
つき動かしてしまうほど驚異的なパワーを秘めている。



(採光化粧品、オフィス)

しかしそんな夢のような数十分間は、
タイムカードを押した途端に粉粉に砕け散った。
今日も仲間の顔色を窺がい、顧客の怒鳴り声を聞く一日が始まる。
しかもこの後予想だにしない事態が私の身に起きるのだ。
それはお昼前のこと、
デスクの引き出しを開けたことがキッカケだった……


蒼 「あれ?ない……確かここにあったのに」
高中「金賀屋さん、話があるの。
  ちょっといいかしら」
蒼 「はい……
  (話って何?またクレームの件かな)」


私は上司の高中さんに呼ばれ、となりの会議室に入った。
彼女は明らかに不機嫌そうで、ドアを閉めるなり冷たい言葉を放つ。


蒼 「あの、お話ってなんでしょうか」
高中「これは何なの。
  詳しく説明してちょうだい」
蒼 「はい?」

机の上に出された一枚の白い封筒。
私はじっと見つめていたけれど、
その封筒とは、私の机の引き出しに入れていたはずの辞表だった。
驚いた私は思わず声をあげる。

高中「これ、貴女のものよね」
蒼 「もしかして、勝手に私の引き出しを空けたんですか!?」
高中「私がそんなことするわけないでしょ。
  新井さんが私に持ってきたの。
  昨日貴女が帰った後、彼女はまだ残業してて、
  顧客管理帳が無いって言ってきたから二人して探したのよ。
  管理伝票を見たら、貴女が最後に持ち出した記録があったから、
  携帯に電話したけど留守電になるし」
蒼 「え?」
高中「仕方なくデスクを見せてもらったら管理帳が入ってるじゃない。
  昨日、引き出しに入れっぱなしで帰ったのね。
  その時、新井さんがそれを見つけたらしいわ」
蒼 「えっ!?」
高中「顧客管理帳は大事な個人情報が詰まってるから事故防止の為に、
  使ったら必ずロッカーに戻してサインする決まりでしょ!
  それを怠った上に、辞表まで隠し持ってるなんて。
  金賀屋さん、本当にここで仕事する気があるの!?
  こんなことだからミスばかりするんじゃないの!?」
蒼 「そんな……」

昨日は問題なく業務を終えて、きちんと顧客管理帳をロッカーに戻した。
そして返却伝票にサインしたはずなのに、
私のデスクに入っていたなんて。
私の後に管理帳を使った誰かが私のせいにしたんだ。
高中さんの話では新井さんが持ってきたと言ってるし、
私の机を物色して辞表まで渡した。
彼女がしたことって許されることなの?
どうして彼女が責められず、私が高中さんの目の敵にされるの……

昼を知らせるチャイムが鳴っても、彼女は腕を組み私を睨みつけている。
痛い視線を真正面から受けながら私はふと思った。
どんな形でも辞表のことをこのタイミングで知られてしまったのは、
私にとって良い機会かもしれないと。
昨夜見た夢と、満智子に見せてもらった夢占いのお告げは、
困惑する私に根拠のない自信と主張する勇気をくれる。

蒼 「あの、申し訳ありませんでした。
  高中チーフ。その辞表は……チーフにお渡しします。
  夕方、部長が戻られたらその旨をお話します」
高中「えっ。貴女、本当に会社を辞めるつもりなの?」
蒼 「はい。
  そのほうがこれ以上、皆さんにご迷惑おかけしないと思います。
  お昼のチャイムが鳴ったので、私はこれで失礼致します」
高中「ち、ちょっと。ねぇ、金賀屋さん!」


呼び止める彼女の声を無視して頭を下げ、
会議室を出てデスクに戻ると出ている書類と文具を片付ける。
するとバッグを手にした私に、
新井さんが笑みを浮かべて話しかけてきた。

新井「金賀屋先輩、どうしたんです?」
蒼 「えっ。何でもない」
新井「えっ。どうしてそんな怖い顔してるんですか?」
蒼 「貴女には関係ないわ」
新井「先輩って、昼休みになると毎日外出しますよね」
蒼 「いけない?それが何か問題でも」
新井「いつも誰とお食事してるんです?
  あっ。もしかして、彼氏さんと一緒ですか」
蒼 「私が誰と食事してるのか、
  いちいち貴女に報告しないといけない?」
新井「い、いえ。私はただ、
  たまには休憩室で一緒にお昼したいなーと思っただけですよ。
  先輩に聞きたいこともあるから」
蒼 「私は貴女と話すことなんてないわ。
  友達が待ってるの、休憩行ってきます」
新井「あーぁ。先輩って怖ーい」


とにかく疲れた。
顧客管理帳のことも事実を突き止めず、
勝手に人の引き出し開けることも咎めない上司。
私に声をかけることもなく、
辞表を見つけたからと勝手に上司に提出する後輩。
そんな勝手な人たちが居る会社で、協力して仕事なんてやってけない。
もう限界……



バッグからハンドタオルを取り出し、
悔し涙を拭いながらいつも行くパン屋さんに立ち寄る。
そして足早に満智子の待ついつもの公園に向かった。
歩く速度と比例して私の目からどんどん涙が流れる。
公園につくと満智子はいつものベンチをしっかり確保し、
お弁当バッグを持って座っていた。


(公園のベンチ)


蒼  「満智子ー」
満智子「あれ?今日は早い……ね。
   蒼、泣いてる!?
   会社でなんかあったの?」
蒼  「うん。とうとう辞表出したの」
満智子「え!?辞表って、本当に辞める気だったんだ。
   よく考えたの?次の就職は決めてる?」
蒼  「ううん……それがさ、聞いてよ」


私は泣きながら午前中に起きた新井さん事件のことを話した。
たこさんウインナーを頬張る満智子はうんうんと頷き、
真剣に聞き入っている。


満智子「そうね。それはひどい話よね」
蒼  「でしょ?」
満智子「その管理帳の件もだけど、その新井って子。
   計画的な犯行だわね」
蒼  「やっぱりそう思う?」
満智子「うん。
   だって、普通は人の辞表なんて勝手に上司に渡さないわよ」
蒼  「うん。そうだよね。
   でもさ、もういいんだ」
満智子「もういいって、何がいいの?」
蒼  「私、今の会社でやっていくの、もう限界だったし」
満智子「でもさ、次の就職先探しとかないと今は就職難だし、
   わりの良い会社なんて倍率高いから、再就職はかなり大変よ」
蒼  「うん。分かってる」
満智子「それに、今の蒼が住んでるマンションだって、
   茜ちゃんと半々で生活費出してるんでしょ?
   辞めてもすぐ仕事見つけなきゃ、生活大変なんじゃないの?」
蒼  「あっ!そこ忘れてたわ。
   でもこういう事態になっちゃったんだからしかたないもの。
   最悪バイトでもするよ」
満智子「もう、蒼ったら。
   のんきにメロンパンかじりながら言ってるけど大丈夫なの?」
蒼  「うん……」


♪~♪~♪~♪~♪


満智子「あっ!正(まさ)くんからだ。
   蒼、電話だからちょっとごめんね」
蒼  「うん。いいよー」
満智子「もしもし、正くん。
   お疲れ様。うん、いいわよ……」


満智子は彼氏の正くんからの電話に微笑み、
話しながらベンチから離れていった。
私は手に持った二個目の焼きそばパンをぼんやり見つめる。
彼女に言われるまで、生活費のことなんてすっかり忘れていた。
会社辞めたなんていきなり言ったら、確実に茜は怒るだろう。
「蒼ちゃん!今後の生活費どうするの!?」と、
憤慨しながら文句を言っている妹の顔が目に浮かぶ。
私は大好物の焼きそばをかじりながら、
公園の先に見えるオープンカフェに目をやった。
いつも食事している電車の彼の姿を探したけれどいないようだ。
その時、後ろから誰かが近寄ってくる気配を感じて、
満智子が電話を終えて帰ってきたのだと思い話しかけた。



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