榛色の瞳を追って

味付け海苔と宗一さん

昭和8年(1933年)4月。 女学校を卒業してひと月が経ちました。
私は今、平日は南山手の陳(チャン)さんという家で身の回りの仕事をして、日曜日に礼拝に行く生活をしています。

「今日のランチは何でしょう?」

「今日は『即席ハウスカレー』を買ったんです」

「カレーですか、ワタシ一度食べました。 レストランでたくさんお金払いました」

「そうなんですか。 私は初めてなんです。 レストランも行ったことが無くて」

「では、今度一緒に行きましょう。 ネ、宗一」

この陳さんには日本で一緒に住む息子の宗一(ソウイツ)さんと、他に奥さまとお嬢さまがいるそうです。 ですが、今はお国に帰ってしまったそうで私は物心ついてからお目にかかったことはありません。

「そうだな。 父さんと行くのもいいが、女と行くのも楽しそうだ」

「女と呼ぶのは止しなさい、ちささんに失礼でしょう」

私は上村ちさ(うえむらちさ)、年は17歳です。
今は東山手の小さな家に両親と長兄夫婦、姪、それに二人の弟と妹の9人暮らし。 他に兄と姉が二人づついるのですが、次兄はアメリカに渡り、すぐ上の兄は浦上にある医科大学に通うために下宿しているのです。 姉は二人とも既に嫁いでいます。

「大丈夫ですよ、陳さん。 ランチ・タイムにしませんか」

宗一さんは東京の大学に行ったという優秀な方で、少し気難しい面がありますが、仕事熱心で根は悪い人ではなさそう。

「おお、美味しそうな匂いします」

いつもと変わらない食事の風景。 女中の私も一緒に食事を囲むことができるのは陳さんがお優しい方だから。 そんなことを思いながら食卓につくと、ある事件が起きました。

「おい、女!」

宗一さんが、急に怒鳴ったのです。 何があったのでしょうか。

「どうしたんですか?」

「味付け海苔が無いではないか!」
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