白くなったキャンバスに再び思い出が描かれるように
美野里の家は僕らが通う図書館がある町だった。

 住所を頼りに美野里の家を探す。

 「確かこの辺りなんだけどなぁ」

 迷いながらも探し当てたのは、駅から少し離れた3階建てのマンションだった。

 3ー2冨喜摩の住所。階段を昇り目当てのドアの前で一瞬立ち竦む。その厚いドアが今の僕にとっては何重もの分厚いドアのように感じる。 

 震える指でインターフォンのボタンを押す。何も返事がない。もう一度押す……しばらく待つが返事はない。これが最後と思いボタンを押す。だが返事はなかった。すでに手も顔も汗が滴っていた。

 留守の様だった。

 「日を改めよう」仕方なく元来た道を戻る事にした。太陽の日差しが次第に弱さを感じさせ、オレンジ色の光へとその姿を変えていった。

 ふと、前に目をやると来る時には気が付かなかった公園の入り口が目に入る。引かれる様にその公園に入ると、目の前に広がる芝生に少し先にある人工的な丘。その手前に噴水があり、それを囲むように伸びる遊歩道が伸びていた。

 そして、噴水の横にオレンジ色の光に照らされながらベンチに座る人影を見た。

 美野里だ。

 僕は遊歩道を歩き美野里に近づく。

 美野里は人の気配を感じその方に顔を向ける。

 それが僕だと解った瞬間立ち上がった。

 「冨喜摩、」

 僕が彼女を呼ぶか呼ばないかの隙に逃げる様に立ち去ろうとした。

 それを僕は大声で

 「富喜摩」

 彼女は足を止めた。そして振り返り

 「あがうがうが」何かを話した。

 それは言葉にならなくても、彼女の僕に対する怪訝な怒りの言葉だと解った。

 「ごめん、冨喜摩。あの時僕はやってはいけない事をしてしまった。君の書いた小説を無断で読んでしまった。言い訳になるけど、何かをしようと思って見たんじゃない。僕も小説を書いているから、あれに映った文章が気になって思わず読んでしまった」

 頭を深く下げ、目をつむり、言葉を放つ。その時の美野里の表情は見る事は出来ない。ただ何も発せず無言で僕の言葉を訊いていた。

 「冨喜摩の気持ちは解る。僕だって黙って自分の書いた小説を読まれると嫌だ。僕はそれをやってしまった。僕は君を傷付けてしまった。済まない冨喜摩。許してくれ……」

 更に頭を下げ両手をきつく握りしめ、その手を震わせていた。

 ザー、ザー、噴水から訊こえる水音だけが二人の耳に訊こえていた。

 僕は黙って頭を下げていた。

 不意に彼女の手が僕の肩に乗る

 ゆっくりと頭を上げる。

 そこには、少しはにかんだ美野里の顔があった。

 彼女は手で僕にベンチに座るように動かす。

 鞄からあのモバイルパソコンを取り出し、日の様子を見てからイヤホンを僕に渡した。

 美野里はイヤホンを耳に付けるように促す。すると

 「もう、いいよ」

 イヤホンから声が訊こえる。(読み上げソフトというものらしい)

 少したどたどしい所があるが十分に言葉として訊く事が出来た。

 僕は彼女の顔を見て

 「本当に」と訊く

 美野里は小さく頷いた。

 続いてまたタイプして

 「初めは怒ってたけど今は怒ってない、恥ずかしかっただけ。それに、私も同罪だから」

 「同罪」

 「うん、亜咲君小説書いてたノート落としてたから読んじゃった。ごめん。亜咲君も小説書いているなんてびっくりしたよ」

 笑うしかない。ある日、そのノートを失くした事は覚えている。自分の部屋で必死に探したけれど見つからず、次の日学校の机の中で見つけた。てっきり置き忘れたんだと思っていたが、美野里がこっそり戻していたなんて
 「だから、同罪。ごめんなさい」

 彼女は立って僕に頭を下げた。

 「でも、嬉しかった、なんか同じ人が近くにいて……」

  美野里はモバイルノートに向かいタイプする。それが僕の耳に音声として訊こえてくる。
 時折間があるが、二人で声を出して話しているようだった。

 「いやぁ、僕の方こそいいよそんな事」

 少し照れながら頭を掻いた。

 そして美野里の方を向いて

 「冨喜摩、君の小説が読みたい」

 彼女は顔を上げ僕を見た

 「初めてだったよ、あれだけ惹き込まれた小説は。僕は始まりから君の書く小説を読んでみたい」
 真剣に彼女に訴えた。

 またイヤホンから声がする。

 「そんなぁ、ダメだよ。褒めたって駄目。第一亜咲君も小説書いてるんだもん、恥ずかしいよ」
 「褒めてる訳じゃないんだ、僕の素直な気持ちなんだ 。それに僕の書く小説より冨喜摩の書く小説の方が断然いい」

 「またそう言って褒めてるじゃない……」

 押し問答の末、美野里はようやく降りた。

 「んもう、まだ途中なんだよこれ、本当にいいの」

 「うん、ほんとに読みたい」

 「じゃ、図書館でね」

 「うん、ありがとう」

 そして町田先生から預かった手紙を思い出し、彼女に手渡した。

 美野里はその封筒の裏面に住所が書かれているのを見て、ふっと微笑んだ。

 町田先生が、僕に助け船を出した事を彼女は解っている様だった。

 美野里は次の週には小説を読ませてくれた。


 「はいどうぞ、ちゃちゃって読んで」


 今日はノートに殴り書きの様に書いて僕に話す。

 「それでは読ませていただきます」

 一言言って美野里の描く世界へと入っていた。

 あの時と同じだ。読むごとに惹き込まれていく、次へ、次へ、スクロールするのがもどがしいくらいだ。

 物語の中で主人公は山あり谷ありの人生を送る。その場面ごとに笑ったり泣いたり、はたまた意味も分からずぶち切れたり喜怒哀楽が面白い。

 後半になるにつれ物語は急展開を見せ始める。その切り替えも絶妙で、気が付いたら既にシリアスモードに突入していた。

 そしてこの物語が実は恋愛ストーリーである事が明らかになる。


 「人は生きるために人を愛し、愛は人を生かす為に存在する」


 この言葉が物凄く胸に響いた。

 物語はちょうどいいところで途切れていた。

 「ね、どうだった」

 美野里は殴り書きしたノートを僕の顔に押し付ける。

 「ちょっと、それじゃ見えない答えられない」

 「んもう」と言う表情をしてノートを離す。

 僕は美野里の目を見て

 「とっても面白かった。特に主人公の表情がとっても豊かで読んでて空きがこない。それにこれ恋愛小説だったんだ物凄く良かった。この主人公まるで冨喜摩の様に思えたよ」

 美野里は、ノートを見開き大きく開いて殴り書いた。


 「ばか」


 彼女の顔は真っ赤だったけど、その顔はとても素敵だった。僕は恋をしてしまったようだ。


 冨喜摩美野里が描く世界と、彼女本人に……


 それから僕らはメアドを交換した。

 僕はそれからも図書館に通い詰めていた。それも彼女も同じだった。そしていつの間にか一緒に本を探し、席を同じくして周りに迷惑にならない様に話をした。もっとも彼女の方は筆談である事は言うまでもない。

 そして僕らは、ある事がきっかけで急速にお互いを意識し合うようになった。それはクラスの奴が僕にちょっかいをかけた事から始まった。

 「おい、亜咲ぃ。昨日俺見てはいけないも見てしまったんだよ」

 話しかけてきた奴はニタニタとしながら僕の後ろから話しかけてきた。

 「なんだようそれは」

 「いやぁ、何ね。昨日ちょっと用事があって図書館の前を通ったんだよ。そしたらお前ら二人仲睦まじそうに図書館から出てくるじゃないか。冨喜摩とよう。俺、目ぇ疑ったぜぇ。あんな声無地味ツンが好きだなんてな」

 声無地味ツン。僕は一気に血が頭に上がるのを感じた。


 ガダン。もう、その瞬間にそいつをぶん殴っていた。


 そいつは僕の胸ぐらをつかみ

 「な、何だてめぇやろうってんのか」

 そいつの拳が飛んできた。

 体が床に倒れ込んだ。

 立ち上がりながら

 「冨喜摩を好きになって何で悪い。冨喜摩は声無なんかじゃない。俺は彼女の声をいつも訊いている。そんな彼女が俺は好きだ。お前に冨喜摩の気持ちが分かるか」

 もう一発ぶん殴ろうとした時、教室のドアが開いた。

 「何騒いでいるんだ。早く席に着きなさい」

 担任がホームルームの為教室へやってきた。

 そして僕ら二人を見て


 「お前ら何やってんだ。早く座れ」


 担任は激を飛ばし僕らを座らせた。

 まだ顔が熱い、体は小刻みに震えている。殴られた頬はズキンと痛みを増していた。

 ホームルームが終わってから、クラスの奴らにわんやわんや言われたが、もう一人の相手、冨喜摩の姿はもうなかった。

 すぐに図書館にも行った。でも、美野里の姿はなかった。
< 20 / 125 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop