白くなったキャンバスに再び思い出が描かれるように
 「少し長くなっちゃったけど、これからもう一度高校の時の話をするよ」

 僕は空になったビール缶を流しに持っていき、冷蔵庫からもう一本ビールを出した。沙織さんに聞くとビールはもういいと言ったから、グラスに冷やしてあった紅茶を注いだ。

 「ありがとう」と言ってグラスを受け取った。

 僕はプルタブを開け、ごくっとビールを流し込んだ。次は美野里の話だ。

 高校の時僕のクラスには、話す事が出来ない障害を持った生徒がいた。彼女は冨喜摩美野里 その彼女を僕は愛した。

 クラスの中で地味でその存在を消し去るかの様に誰とも関わらず、いつも窓際の自分の席から外を眺めていた生徒だった。

 授業が終わると彼女は誰に何も合図をせず教室から消えた。

 そんな美野里の行きつけの場所は僕も利用する図書館だった。

 始めは僕もそんな美野里と接点を持つことを心のどこかで否定していた。

 ある日図書館で彼女の持つモバイルパソコンから、彼女の断りなしにそこに書かれていた小説を読んでしまった。

 僕も小説を書いていたから正直気になったことは確かだ。

 だが、彼女の描く小説の世界は僕をその世界へと惹き込んだ。次へと次へと、スクロールするのさえもどかしいくらい。そしてそれを美野里に見つかってしまう。

 誰にも見せない彼女の小説は彼女の心の世界だった。そんな彼女の小説を黙って読んでしまった。それは彼女の心を断りもなしに踏み荒らす事と同じことだった。

 そして僕は美野里に謝ろうとした、例え、許してくれなくても許してくれるまで。だが、実は美野里も僕の落とした小説ノートを拾い僕の小説を読んでいたのだ「だから同罪」美野里はそう言って僕を許してくれた。

もっとも彼女の怒りも落ち着いていたようだったから。

 許してもらった僕は美野里に、彼女の描いた小説を読ませてもらうよう頼んだ。ようやく承諾してくれた美野里の小説を読んだ時、僕は彼女の小説に惹き込まれるのと同時に、彼女自身を好きになっていた。

 そして、クラスの奴が僕をからかったことで僕はクラス全員の前で美野里を好きだと、美野里本人の前で告白した。

 それを訊いた美野里は恥かしさのあまり、授業が終わるとすぐにいなくなった。しかもいつもの図書館にも来ていなかった。

 美野里は自宅近くの公園のベンチに座っていた。彼女を見つけ僕の本当緒気持ちをもう一度ぶつけた。彼女はそれを否定した。でも僕はその気持ちに嘘をつくことは出来なった。彼女にいきなりキスをして美野里を強く抱きしめた。

 そしてクラスの前で大々的に美野里に告白た僕らは公認の仲として付き合うようになった。

 お互いに小説を書くと言う目的を持ちながら、毎日を幸せに暮らしていた。そしてある日突如振った豪雨でずぶぬれになった僕らは、美野里のマンションに行き彼女の勧めで服を乾かしてもらいシャワーを浴びさせてもらった。


 通された部屋、それは美野里の部屋、そこで服が乾くまで小説を執筆することになり二人で小説を書いていた。ものを取るためにお互いが立ち上がり、ぶつかってバランスを崩した美野里を抱き抱えた僕は、そのまま彼女にキスをした。それから僕らは雨が降りしきる外の雨音を訊きながら、美野里の部屋で結ばれた。


 それからは、もう二人でお互いの家を行き来するようになる。姉貴も「恋愛に疎いあなたがねぇ」と言いながらも美野里とも大の仲良しだった。

 クリスマスの時美野里は綺麗にラッピングされた本を一冊プレゼントしてくれた。メッセージを添えて

 「達哉の作家人生に」と

 その本は美野里が崇拝する作家の本だった。そして美野里は僕に恋愛小説を書く様に薦めた。

 初めは無理だと断ったが、今思えば美野里は僕の描く小説が恋愛小説、いや人を思う物語に向いていることを覚(さと)っていたのかもしれない。


 「それじゃ、達哉さんが恋愛小説書く様になったのはその美野里さんが薦めたからなのね。もし彼女が薦めなかったら達哉さんは今頃何を書いていたんでしょうね」


 沙織さんの少し刺(とげ)を感じる声が気になる。


 「さあ、それは僕にも解らない。もしかしたら小説そのものを止めていたのかもしれないな、そうしたら今の大学にも行かなかったと思う」

 僕はそれから恋愛小説いわゆるヒューマンストーリーを模索して描く様になった。ある程度決めたプロットを美野里に見せると「没」と突っ返されていた。そんな事を幾度も繰り返し高校最後の夏が来た。

 このころになると殆どが志望校を決めていた。もちろん僕もその中の一人であることは言うまでもない。でも美野里はまだ僕に自分の志望校を教えてくれなかった。

 「なあ、美野里お前の志望校どこなんだよう」と聞くも「まだ決まってない」の一点張りだった。

 違った大学にお互い進学したとしても、一緒に大学生活を送れるものだと思っていた。でもそれは突然やってきた。

 夏休みが終わりに近づいてきた頃、美野里からいつもの公園に来るようメールが来た。

 そこで僕は美野里から別れを告げられた。一方的に、勝手に僕に何も相談なしに自分は北海道の大学に行くからと。

 なぜ美野里が北海道の大学を選んだのかは僕には教えてくれなかった。ただ父親の転勤もあるのだとしか言わなかった。

 その2日前、美野里から風邪を引いたからこの次は学校で会おうとメールが来ていた。おそらくその間引っ越しが行われていたんだろう。最後の最後まで彼女は僕に北海道に行くことを隠したかったから。そして出発の日最後の別れをする為に公園に僕を呼び出した。

 勝手だ、そんなの美野里の勝手だ。それにどうして別れる必要があるんだ。遠距離だって恋愛は出来る。

僕は声には出せなかったがそう心の中で叫んでいた。

でも、美野里の方が僕の何倍も辛い思いをしていた。それを知ったのは、最後に手渡してくれた手紙からだった。


 美野里は僕の描く小説が多くの人から好きになってもらえると書いてあった。そして美野里は僕の恋愛小説が好きだと一番好きだと言ってくれた。だから自分は僕の重荷になりたくないと、美野里は解っていた。話す事が出来ない障害を持って生まれてきた自分はきっと後に重荷になると。

そうなれば自分もそして僕をも悲しませてしまう。そんなことは出来ないと、僕の将来には輝くものがあるのだからと……


 美野里は僕から立ち去るとき、振り向かなかった。一度も振り向いてくれなかった。でもそれは美野里の覚悟だったんだ。


 手紙に、将来作家になることを目標にすると書いてあった。多分それは目標ではなく美野里の決意だったと思う。将来自分の本が書籍化されたら読んでほしいと。そして僕に負けない自分を見てほしいと書かれていた。

 そして手紙の最後に


 「達哉、ありがとう。私に夢と目標を与えてくれた人」と書き残されていた。


 それから僕は美野里に一度も連絡はしなかった。例え僕から声をかけたにせよ美野里はそれに出ることはない事を、僕もそして美野里も解っていたから。だから彼女からも連絡は来なかった。

 そして僕は美野里に負けじと作家小説家になることを心から誓った。美野里が好きだと言ってくれた恋愛小説で作家になることを誓った。

 志望校もその時今の大学の文学部に反対を押し切って変えた。

 小説を書くために。

 大学の合格発表が掲示された後、美野里から一通のレター封筒が届いた。自分の志望する大学に受かったと、そして新たに作家になることを決意表明していた。

将来お互いに作家になって作家同士で話が出来るようになりたいと。それが彼女の夢だと思うように。

 同封されていた写真は合格した大学の正門前で写る美野里の姿だった。もう美野里は自分の目標に向かって一歩歩(あゆ)んでいた。

 そして僕も作家になることを決意表明してやった。志望する大学を変え、作家になる為にこの大学に入った事を……


 最後に、クラスを集めてもう一度最後の卒業写真を撮った。美野里は一人なんかじゃない。みんなが美野里の前にいるんだから。

 がんばれと……


 それからやり取りは行っていない。

 お互い作家を目指す仲間として。

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