白くなったキャンバスに再び思い出が描かれるように
 「それより、今の彼女。いいえ実質上の奥様に了解頂いとかないとね」  
 
 実質上の奥様。その響きに何か安心感を覚えた。

 「ええ、お願いします。そうして戴けると私も少しは肩の荷が降ろせますから」と呆れるお様に、しかもこっちからも鋭い刺を感じさせた。

 「そう良かったわ」と優子は言って次に

 「ハハハ、安心して沙織さん。多分亜咲君はそうなる前に、私の前から離れるでしょ。自分で、自分の小説で作家として、私から巣立っていくでしょう」

 「優子」一言彼女の名を呼んだ。

 沙織も「実はホットしているよ」と後で教えてくれた。随分気をもんだようだ。

 そして、有田優子があの時一緒に観た映画原作者の娘であることを話すと。

 「済みません。サインください」とカバンからあの時のパンフレットを差し出した。

 「まだ、持っていたのか。そのパンフレット」

 「うん、だって達哉と初めてデートして、初めて観に行った映画だもん」

 「あら、私のでいいの。原作者は違うんだけどなぁ」と言いつつもそのパンフレットにさらさらっとサインを描いた。

 その後、優子は僕に

 「あなたもサインの一つくらい練習しておきなさい」と

 沙織は「ああ、達哉字汚いからいらないかも……」と言ったか言わないかは定かではなかった。

 僕はすでにあの小説を大賞に出稿していた。

 たとえそれが選考落ちであろうとも、僕にとっては満足なことだった。

 二人で描いたあの小説。そして僕が加筆して修正した小説。新たな二人の物語であるから。

 沙織には正直に言った、加筆修正した部分は、沙織の病気の事は一切知らずに書いたものだと。

 沙織は多分、僕がすでに何かを沙織から感じ取っていたんだろうと。だから僕はそう書いたのだと。

 愛奈ちゃんが言っていた相思相愛がそうさせたんだと……


 そして僕はもう次の小説を書こうとしている。

 「もしも、私があなたの事を……見失ってもまたあなたの前に来られる様に……お願い」

 あの時沙織が言った言葉だ。

 その時はこの意味、沙織の気持ちは解らなかった。でも今なら解る、なぜ沙織がそう言ったかを。

 新たに書く小説。それは、沙織がまた僕のところに戻って来れる様に、また僕の前に来られように。彼女へのメッセージを込めた小説。
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