好きになるまで待ってなんていられない


もう、許して…。離して。塞がれた手から煙草の匂いがしていた。
ジワッと涙が零れた。
どうするのが一番いいのか解らない。首を振って見た。

「…騒ぐなよ?」

うん、…うんって頷いて見せた。

「よし。離すぞ」

また頷いた。

…。

口が解放された。ヘナヘナと座り込んだ。

…。

「悪い。悲鳴をあげられるとまずいから。おい、大丈夫か?泣かしたか?」

…。

パソコンのバッグを強く握り、肩から落ちたバッグの紐をかけ直した。
ユルユルと立ち上がった。

…はぁ。

涙で濡れた両目を交互に拭い、階段を上がり始めた。


「あ、おい」

…。

ズー。…はぁ。鼻を啜った。一歩、階段を上がった。

「おい、待て」

腕を掴まれた。

「…何ですか?」

私は用なんて無い。ていうか、貴方は一番会いたくない人。何度呼ばれようとも振り返らないから。
涙でどんなになってるか解らない顔、しかも、“くすんでいる”と言われた相手に顔なんか見られたくも無い。

「待ってくれ。驚かすつもりじゃなかったんだ。悪かったよ。あんた、今日、遅かったんだな」

え?

「いつもこんな遅くなった事なんか無いのに」

…。

それは、仕事だから。今日だけじゃない。今までだってあった。
貴方が最近の私しか知らないだけの事…。
遅くなったのは…貴方に会いたくなかったから。とは、言いたいけど言えない。

「悪かったよ。無神経な事言って」

……え。

「え?」

「受付してる、おばちゃん…女性に叱られたんだ。仕事してるから鈍感になってるって、さ。いきなり顔の事を言われる女の身にもなってごらんって」

「あ、…」

「この通りだ。悪かった。ごめん。許して欲しい」

腕は掴んだまま、頭を下げられた。

あ、私…。
高いところに居るのが嫌で、同じ高さ迄下りた。
コツン…。

「あの、頭を上げてくれますか?男の人がこんな…、もう、いいですから」

「いや、無神経に傷付けてしまった」

…あ、ぁ、どうしよう。こんなところで…。
誰か帰って来たり、下りて来たら…。私は泣き顔だし、知らない人は男女の修羅場かと思うかも知れない。

「と、とにかく、下に、下迄一旦下りてください。お願いします」

コツン、コツン、コツン…。

「この音なんだ」

え?
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