お口にクダサイ~記憶の中のフレグランス~
散る花、枯れる花
私に別れようとは言わない先生。けれど、別居を解消して、奥さんのいる自宅に完全に戻ったようだった。私はそれに気がつかないふりをする。

何らかの変化があったのだろう。私が触れてはいけない、先生と奥さんとの関係。

4月になり、私は院長、医局のドクターの秘書のようなものになった。

慣れない中、他の病院からアルバイトで当直をしてくれている医者のスケジュール管理やら、突然当直に入れなくなったと連絡が来るたびに、穴埋めで当直に入ってくれる先生を手配したりで、大忙しだった。

仕事が忙しくなってきたせいもあり、先生と会えない時間が増えても、そこまで落ち込むことはなくなっていた。いや、落ち込まないように、仕事にのめり込んでいったのかもしれない。

仕事を詰め込み、独り暮らしの部屋に帰って死んだように朝まで眠る。何も考えたくなかった。休みの日も極力予定を入れていた。暇をもてあますと、悲しい結末しか浮かんでこない。

別れの予感を、本能的に察知していたからだろうか。

ぶつけようのない苛立ちに襲われて、先生にあたってしまう事が多くなっていた。先生はそれでも私から逃げなかった。戸惑いながらも、優しさは失わなかった。

その優しさは、時に残酷だった。一層の事、突き放されたら諦めがつくのに、優しくされるといいように期待してしまう。

自分から去る事も出来ない弱さが自分でも情けなかったし。どこかで前のように、お互いに駆け引きを楽しんでいた頃に戻れるかもしれないという思いを捨てきれずにきた。

先生は腫れ物に触るように私に接する。それにまた苛立ち、だんだん私は壊れていった。


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