Open Heart〜密やかに たおやかに〜

社長が胸ポケットから取り出したのは長方形の紙だった。

「1億円の小切手だ」

「え?」

「お義父さんの治療費、リハビリ代、働けない間の生活費にあてなさい」

「そんな……こんな大金いただけません」
両手を上げて掌を激しく横に振る。

「大金と思うか思わないかは君しだいだがね、足りなければ、すぐに書き直そう」
座椅子の背もたれに背中を預けた社長。

「足りないだなんて、まさか! こんなことをして頂く訳にはいきません。いくら秀之さんと婚約しているとはいえ……こんな大金は」

「それだよ、目の上のたんこぶは」

目の上のたんこぶ?
なんのことだろうか。

「はぃ?」

「秀之と婚約していた君だからという意味も、この1億円には入っているんだ。婚約破棄するんだから、それなりの額は必要だろう」

「……あの…婚約破棄です…か?」
言葉につまりながら社長へ聞き返す。


「そうだ。それとも君は秀之と本当に結婚出来るとでも……」
まっすぐに私を見据える社長の瞳を怖く感じていた。
「そう考えていたのかな?」

「……でも、先日、秀之さんがお義父さまに許してもらえたと言ってましたが」

「あれは、あの場を収めるためについた嘘だよ。秀之が思ったより君にのめり込んでいるんでね」

のめり込んでいる。
社長が使ったその言葉に悪意を感じてしまった。

「不毛な話は、するつもりないんだ。秀之と別れてもらいたい。その為の1億円だ」

唖然として社長を見つめる。
社長の顔のどこにも笑顔を表現出来るものは見つからなかった。

「そんな……」
途方にくれながらも、この状況が見えてきていた。

社長は、息子の婚約を間違えなく破棄したいと考えている。その為に私をシュウちゃんには内緒で呼び出したのだ。


「お連れ様がお見えです」
取り澄ました配膳係の声が聞こえてきた。

襖がゆっくり開かれると、そこには母さんが立っていた。

「母さん、どうして?」


母さんは私の隣にいそいと座ると、1億円の小切手を目ざとく見つけた。

「樹里、ありがたく受け取りなさい」

「え?」
急に全てを察したかのように私に言う母さんに面食らっていた。


「お義母さんには、もう話をした」
社長は母さんをチラッと見てから、私へ視線を戻す。

「父さんの為よ」
膝に置いていた私の手を握る母さん。

「母さん、私のことなの! 母さんが勝手に決めないでよ」

すると、母さんは私の肩に手を置き自分の方へ向けた。私の両肩を掴んで、私の体をゆすり出す。
「いい加減目を覚ましなさいよ、樹里」
ガクガクと乱暴に体を揺すられてしまい、頭がゆらゆらし、歯がカタカタ鳴った。
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