モカマタリ 前編
前編


「少し時間はありますか?」


彼に話しかけられたのは、それが初めてだった。


私はその部屋を出ようとしていた。掛けられた声に驚いて振り返ると、眼鏡をかけた冷たい瞳がこちらをじっと見つめていた。





――――名取 修二(なとり しゅうじ)





彼が弁護士だというのは知っている。というか、度々この名取弁護士事務所に私は出入りしていたのだ。


ここの所長、名取修二はまだ三十代くらいに見える。そんな若さでこんな立派な事務所を構えるなんて、きっとやり手なんだろう。隙の無いスーツ姿に、いつ来ても仕事をしているその彼。有能なのが滲み出ている。


もちろん私は彼の依頼人でも何でもない。しがないカフェの店員。お店が近くて今どき出前もやっているという事で、事務所が忙しい時はよく食事や飲み物を頼まれる。


オーダーされた品を時間通りに配達し、受付の男の子に受領のサインを貰って修了。支払いは月末にまとめてお店の口座に振り込まれ、いつもだったらそれだけだった。


しかし今日は違った。いつも見ているだけで声も聞いた事がない名取弁護士に話しかけられ、私は本当に驚いてしまった。




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