借金のカタに取られました
まさかの社会人
卒業式の次の日、航平が部屋にやってきて

「千那、四月一日は俺の会社の入社式だから来るように」

「え?」

「俺の会社で働くんだよ。新入社員だよ」

また何も聞いてない。いつも事後報告だし。

「ひょっとして卒業したら、三食昼寝付きとでも思っていたのか? 甘い。金の価値もわからないでお前に家計なんて任せられるかよ。カズさんもいるから出来るときに家事をすればいい。普通の主婦なんて家政婦は居ないんだから恵まれていると思え」

まさか自分が世に言うOLになるなんて。

でも出来るのだろうかと思いを巡らせていると

「あ、それから俺は車で行くが、お前は社員なんだから電車で行け。それと箕島は名乗るな。旧姓の星田(ほしだ)で独身として働け。指輪ははずしておけ。その方がお互い都合が良いだろう」

まったく一方的だ。

でも、まだ一度も箕島と書いたことも、言ったことも、呼ばれたこともないので実感がないし慣れていない。

全く結婚というものは何なのだろう。


 (皆、こんなのに毎日乗っているんだ)とギュウギュウ詰めの電車に揺られて、初出勤をしているがこの先耐えられるだろうかと不安に駆られる。

もしこれが男だったら、下手すると四十年? とか続けるの? 毎日? と思うと横の脂ぎったおじさんも尊敬の眼差しで見てしまう。

やっとの思いで会社に到着し、オフィスに入る。

以前、パーティーに呼ばれたのは、社内見学の意味合いがあったのではないかと推測する。

オフィスでは牧田さんが待っていて会議室に案内された。

中には既に二人座っており軽く会釈する。

「こちらの三人が今年の新入社員です。皆さん同期なので助け合って仲良くしてください」
と言った後エレベーターに誘導される。五階の部屋はあの立食パーティーに使われた部屋だ。

扉が開くと、多くの社員が整列していて一気に緊張する。

航平が三人を紹介する。

「今年の新入社員だ。二週間研修期間の後、それぞれの部署に配属されるので皆さんよろしくお願いします」と言うと拍手が湧いた。

研修は、指導員が入れ替わり立ち替わり部屋にやってきて、様々な事を教わった。

事業内容の詳細、各部署での仕事内容、ビジネスマナー、社員規定の説明等。

目まぐるしく午前中は過ぎ去り、同期三人で社員食堂に行き昼食をとる。

一人は女性で一人は男性だった。

男性は有名四年制大学を卒業しており研修後、海外渉外部に配属される。

もう一人の女性は短大卒で、マーケティング部に配属される予定で、千那は総務部の一般事務職だった。

思わず高卒というレッテルが恥ずかしくなる。二人とも出来る人という感じで、アルバイトもまともにしたことがない千那には眩しかった。

同じ場所にいて良いのだろうかと疑問が湧く。

人見知りのため、食事中も緊張して食欲が湧かなかったが、二人とも気さくで、明るくて、千那に対しても優しく接してくれ、何とかコミュニケーションが取れた。

 いつも、真子が間を取り持つ役目をしてくれて、表だって他人と接することを避けてきたので、コミュニケーションを取ることに対して、苦手意識が強く、自分から話しかけることもしなくなっていた。

こうして、まともに他人と接したのは久しぶりのような気がした。

過密スケジュールの中、入社初日を終え、くたびれながら電車に乗り込む。

学生の頃は車で送り迎えされていて、窮屈を感じていたが、その頃がいかに楽だったか思い苦笑する。

しかし、初めて社会の空気が感じられて少し自由に思えて嬉しかった。

カズさんは相変わらずテキパキと家事をこなし、学生の頃より帰りが遅くなった分、カズさんの存在が有り難かった。

航平の言うとおり普通なら仕事の後、買い物をして料理を作り、洗濯したりするのだ。

結婚して働いている女性って凄いなと感心する。

それに、男性もあの通勤地獄を定年まで乗り続けるのだ。

千那はまだ都内で会社も近く三十分程だが、中には通勤二時間という人いるのだと考えると目眩がした。


 会社の研修期間は瞬く間に過ぎ、千那は当初の予定どおり総務部に配属となった。

部内には既に三人居て、千那を合わせると四人となった。

一人は総務部課長の所謂おじさん、もう一人は勤続二十年のおばさん、そして入社三年目の女性の先輩だった。

何も出来ないと焦っていたが、高校時代に航平に習わされたパソコンやビジネスマナーの研修等が役に立ち、テキパキとこなすことが出来た。

特にパソコンは授業である程度は習ったが、簡単な表計算や文書の作成だけで、経理ソフトの扱いなどは全て、航平が決めたパソコン教室で習った物だった。

それらは、全てこの為だったのかと今更ながらに気づく。

まさに調教されているなと、その用意周到振りに感心する。

入社三年目の小川先輩は、よくランチに誘ってくれた。

今まで近い年齢の子が居なかったので嬉しい、と言ってくれ会社の事を色々教わった。

月一回、全体朝礼が五階のスペースで行われること、その時にしか社長にはほぼ会わないということ、社内には社長に憧れている女性社員がたくさんいるということ、働きやすい環境であるということ等。

それを聞いて意外な感じがした。

航平は社員を締め付けていないのだな、家では独裁者のようだが会社では違うようだった。人間には違う面があるようだ。

傲慢で、いつも命令口調で社員に接していたら、女性社員が憧れることはないだろう。

会社での航平をじっくり観察したいと思ったが、小川先輩の言うとおり、社内ではあまり接することがなく、時々秘書の牧田さんと車で出掛けるのを、社内の窓から見えただけだった。
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