靴ひもが結んだ

靴ひも が 結んだ

「2年C組 遠藤流留(えんどう ながる)先輩」




突然呼ばれた自分の名前の冷たさにビックリして、俺は歩いてきた廊下を振り返った。

そこにいたのは一人の女
黒髪の、色白の、俺より頭一つ分だけ小さい女

俺のことを先輩って呼んだから多分、後輩




「……誰？何？」




見知らぬ顔を、目を、銀縁のメガネ越しに見詰める。

いかにもお堅そうな、無表情な顔
それはもう不気味なほどに。




「私は風紀委員の1年A組 山中冴花(やまなか さえか)です。遠藤流留先輩 靴をきちんと履いてください」


「は………靴？」


「はい。踵を踏まずに、靴ひもを結んで履いてください」




化粧っ気のない薄い唇から淡々と紡ぎ出される言葉に思わず視線が足下を向く。


結ばれていない靴ひもがダラダラと伸び
ぺったんこな踵部分
全体的に汚れた、二年目の上履き
俺の、いつも通りの上履き




靴ひもなんて、最後に結んだのいつだっけか
踵とか、最早立たないレベルなんだが




「ねーあんた、山中ちゃん？」


「はい」





面倒臭いという言葉を飲み込んで
代わりに出てきた悪戯心を弾ませる。




相手は後輩
遊びに付き合ってもらったって いいよね？




口をニッと上げて
腰を屈めて山中ちゃんと目線を合わせる。




「山中ちゃん俺ね、靴ひも結べないの。だから、結んで？」




右手の人指し指を、山中ちゃんから上履きに向けて動かす。




さぁ、どうでる？
キレるか、呆れるか




ニヤケそうになる顔を抑えながら反応を待つ。

さぁ、どうでる？山中ちゃんは



ね？お願い と首を傾けると、山中ちゃんがキレイな形をした控えめな唇を開けた。





「分かりました。では足下失礼しますね」

「へ～ 断る……ん？ え？ちょっ、山中ちゃん!?」





なぜ俺が焦ってる？
別に強制はしてないし……でも、その

何の躊躇いも見せず固い廊下に膝をつき、俺の上履きに手を伸ばす山中ちゃん


キレも、呆れもしない。
ただ単にとてつもなく冷静な対応




俺の靴ひもは俺の上履きに何度も何度も踏まれていたようで、黒く汚れへにゃへにゃになっている。


そんな靴ひもが、白い華奢な指で器用に結ばれていく。

輪っかができ、ひもが通され、蝶々結びになった。




「……ありがとーね」


「いえ。靴ひも、練習した方がいいですよ」




こんな汚い上履き、嫌じゃなかったのかな？

相変わらず山中ちゃんは無表情だ。





「あー、それね。ごめんね？俺本当はさ、靴ひも結べるよ」


「でしょうね」


「でしょうねって……」




何か凄い、負けた気分

打ちひしがれて頭を垂れると頭の上からクスクスと笑い声が降ってきた。




「何、笑ってるの？」


「ふふっ すみません。嫌、先輩って甘えん坊なんですね」


「なっ!?」




先輩に何てこと言うんだ

なのに、怒る気になれないのは




「山中ちゃんの笑顔、優しいね。すぐ引っ込んじゃったけど」


「そうでしょうか？ありがとうございます？」


「疑問系」




しっかり見れなかったけど
無表情の今とは違う、いい感じの顔だった。




「では、失礼しますね」


「ん。あのさー山中ちゃん、俺これからはちゃんと上履き履くよ」


「お願いしますね」


「だから、注意以外でまた喋ろうよ」




何で、こんなことに

でもまた喋りたいと思ったんだからしょうがない。




「はい。お誘いお待ちしてますね」


「俺からかよ」


「誘ったのは先輩です」




山中ちゃんは無邪気な子供みたいに
さっきとはまた少し違う笑顔を見せた。





「あーもー、そうかよいいよそれで。またな！忘れるなよ！」


「はい」




そう、短く返事をして会釈と共に去って行く山中ちゃん。


笑顔、だった。

きっと本当に笑いたいときにだけ笑顔になるんだろう。


笑いかけられて、心が弾んだ。
風紀委員の注意を受けた筈なのに、
何だか可愛く許された気がした。