黒いキミ


机に渦高く積まれたプリントの山
明日の授業で使うからと担任に押し付けられたのだ。
教室には僕一人
プリントを重ねてはホチキスで止め重ねては止め
終わりの見えない作業に溜め息が漏れた。


このプリントたちが羨ましい。
自分から動かなくても、こうして僕にくっつけてもらえるんだから
心の中に燻った気持ちが穆を面倒臭い奴にする。
長く付き合ってきた臆病で慎重な自分のこの性格だけど
嫌いになったのは、ドロドロと甘ったるい気持ちを知ってからだ。


プリントを重ねて止めて、また重ねて止める。
永遠に終わらないような気がしていたプリントの山もあと少しで終わりを迎える。
時間を確認しようと顔を上げるとガラガラと大きな音を立てて教室のドアが開かれた。

呆然とする僕
初めてキミと目があった。
心臓が止まるかと思った。



「日直なの?」
「あ、違うよ。 たまたま押し付けられたんだ」



初めて僕だけに向けられた声
録音したかったな、なんて思った。
災難ね と笑いながら教室を横切るキミは締め切られていた窓を開ける。

曇った空の下
薄暗い教室に溜まっていたジメジメとした空気に新しい風が吹き込んだ。
カーテンが宙を舞う。
雨に濡れたアスファルトの匂いの風がキミの髪を煽る。
シャンプーか何かふわりと甘い香りが鼻を掠めた。



「風、平気?」


僕の持つプリントを指差しながらキミが言った。


「大丈夫だよ」


僕は風より強いから と理由になっていない言い訳をする僕に
キミは少し可笑しそうに微笑んだ。
風に動かされた雲から顔を出した太陽がキミを照らす。
キミは少しだけ窓の隙間を狭めて僕を背に歩き出した。


小学生の頃からずっと掛けているメガネ
銀色のフレーム越しに遠ざかっていくキミの細い背中を見る。
一人になった教室に生温かい風が吹く。
雲だらけの空で、太陽はすぐに隠れた。
ジワジワと染み出す汗でメガネがずれる。
僕の前を覆う透明な壁がなくなると
ぼやけた、色鮮やかな教室が視界を覆った。

ずり落ちたメガネをプリントの上に置く。
何グラムかの重りを無くした頭が軽い。
勢いよく教室を飛び出す。

ぼやける廊下
所々に伸びる人の影
その中で、キミだけはすぐに見つかった。
遠くに見える背中に向かって声を掛けると
真っ黒な髪を大きく膨らませながら僕を振り返るキミ
急いで駆け寄ると驚いたような困惑したような
微妙な表情をしたキミが見えた。


初めて直接キミを捉えた僕の両目が
一生懸命キミの姿を焼き付ける。
すぐ目の前にいるキミのことはよく見える。


「あれ?メガネは?」


不思議そうに自分の顔に手をやり
メガネを押し上げる仕草をするキミ


「教室に置いてきた」
「無くても見えるの?」
「見えるよ。メガネが無い方が綺麗なんだ」
「へぇ。変わってるのね」



メガネは目が悪い僕に遠くを見せてくれた。
メガネがあると物との距離が遠くても不便はなかった。
でも、それに頼りすぎて
いつの間にか近くまで行って見ることをしなくなった。


「あっ、見て!空が晴れてきた」


大きな窓が並ぶ廊下に光が差し込む。
まだ水滴の残る窓に反射して、廊下にキラキラと揺らめく模様が映る。
ちょっとしたことに目を輝かせるキミの表情は明るく
頬がほんのりと赤く色付いている。


「綺麗ね」
「うん。凄く綺麗だ」


目を細めながら僕に笑いかけるキミの笑顔を
僕はずっと見ていたいと思った。


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