できちゃった出産【ベリカフェ版】
 こういう言い方もなんですが、自分たちを囲む人たちが「健全な人々」であるというのは、大変恵まれていることだと思います。何を持って健全いうのかは、ちょいと難しいところではありますが。例えば、誤解を恐れずに言うならば――生活基盤が磐石で経済的な援助が不要であるとか、精神的に安定しているとか、常識や良識を兼ね備えているとか。

 もしも、私や夫の両親が支援や見守り(或いは注視とも……)の必要な状況だったら――。正直、私のキャパでは子育てなんて無理だったでしょう。

 私ね、あーだこーだと理屈をこねて「母性が芽生えない自分」と折り合いをつけてきたわけなんですが。やっぱり、キレイに割り切れて吹っ切れたわけではないんですよね。「この人(息子のことですね・苦笑)、私なんかのところに来ちゃって……」みたいな気持ちがやっぱりあって。

 でもね、周りの人たちのおかげで少し楽になれたんです。職場の人たちが私の妊娠を喜んで出産を楽しみにしてくれたときもそうでしたね。たとえ母性愛が足りなくとも、それを補填する分の――いや、それ以上の有り余るほどの愛と祝福が、生まれてきたこの人を覆っているのだと。そんなふうに思えたのです。

 ザ・他力本願(爆)。お父さんやお母さんが、孫と出会えたことを心から喜んでくれている。それは私にとって大きな救いでした。もちろん、私の両親とて祝福してくれたんですけどね(苦笑)。

 私って生来の根性ナシなんですかね(汗)。おそらく通常は「私が育てなきゃ。ママが頑張らなきゃ」となるとこなんでしょうが。私はと言うと――「私一人で育てるんじゃない」と。某シンジくんの「逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ」よろしく、何度も自分に言い聞かせていたのです。もっとも――私の場合は思いきり「逃げ」の姿勢だったわけですけどね(苦笑)。


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