できちゃった出産【ベリカフェ版】

母親になるためには自分を改造しなきゃダメですか?

 子どもを授かることも、めでたく母となることも、世の中では喜びであり尊いこととされています。母になれるのは光栄なことであり幸福なのだと。でも、実際はどうなのでしょう?

 確かに、母となった喜びを噛みしめながら誇らしげに輝き出す女性もおられます。ちょっと大げさな表現をするならば、その様子はあたかも勲章を拝受したかのようです。

その一方で――まるで人権を蹂躙されたような、権利を剥奪されたような、人格を否定されたような、何もかも剥ぎ取られたような喪失感に打ちのめされて、その惨めさに泣き崩れる人もいる……。敢えてこのような表現をしましたが、こういった気持ちに苛まれる人がいるというのも、現実なのではないかと思います。

 母親になる女性に対して、社会はあまりに多くを求めすぎではないでしょうか? とくに「諦めること」や「捨てること」を求めすぎだと思うのです。しかも、けっこう簡単にあっさり要求してくるような……。

 当然キャリアは捨てるんでしょ? 出世は諦めるよね? 自分の時間なんてなくなるからね? お洒落もできなくなるからね? 子ども連れでは行きたいとこにも行けないからね?

 私、女性として生きたことしかないんでわからないのですが。夫婦に子どもができたとき、男性も同じように覚悟や同意を求められるのでしょうか? おそらく違いますよね……。我慢を求められとしても、実際本当に我慢をするのは女性であることが大半なのではないでしょうか。

 理想論と言ってしまえばそれまでですが、育児の負担は本来平等であるべきです。女性が身体的な負担を請け負う分、男性はもっともっと主体的に動いて貢献すべきだと思いますよ。新米ママ向けの冊子に書いてありましたが、男性にできないのは乳房から母乳を出すことくらいだそうですからね(笑)。

 はたして、母親になるにはいろんなことを諦めて当然なのでしょうか? もちろん、誰だって人生あれもこれもというわけにはいきませんよ。でも……。

 誤解を恐れずに言うならば、私はまるで出家を強要されたような気持ちでしたよ(苦笑)。「今までの自分を捨てて変わらなければ母親になどなれないぞ」「おまえの価値観など野良犬にでもくれてやれ」。何故だかそういう圧力を感じずにはいられなかったんですよね。

献身を求められて、自動的に誓わされちゃうような? まさに胡散臭い宗教じゃないですか……(苦笑)。もっとも、本当の出家というのは家庭生活をも捨てることでしょうから、育児からも降りることになっちゃうのかな(汗)。

「妊娠・出産は女性だけに許された尊い経験である。さらに、母として献身的に育児を行う喜びは女性のみに与えられた特権である」と。たぶんね、その胡散臭い宗教の教えはこんな感じだと思いますよ(苦笑)。

洗脳というか刷り込みというか。しかも、この宗教は思いきり排他的ですからね。「んまっ、育児が苦行ですって!? この喜びがわからないなんて可愛そうに……」となるわけですな(汗)。

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